【戦国フェイクニュース】「わしは太陽の子じゃ!」秀吉のハッタリに付き合わされた秀長が仕掛けた"最強の世論工作"

立身出世の前にはウソも方便だった

SNSに飛び交うフェイクニュース、政治家の巧みなイメージ戦略――だが、こうした「情報操作」は何も現代の発明ではない。

いまから400年以上前、天下統一を成し遂げた豊臣秀吉は、驚くほど洗練されたプロパガンダを次々と仕掛けていた。

大河ドラマ『豊臣兄弟!』(NHK・毎週日曜夜8時)が描く"兄弟の絆の物語"の裏側には、兄の壮大なハッタリと、それを真顔で支え続けた弟・秀長の苦労が横たわっている。

「日輪の子」――史上最強の出生伝説はこうして生まれた

秀吉の世論工作の核心は、「出自のコンプレックスを完全に塗り替える」ことにあった。

史実の秀吉は、尾張国中村(現・名古屋市中村区)で身分の低い家に生まれた。父・木下弥右衛門は苗字すら持たず、信長に「苗字は?」と問われた秀吉が「ありません」と答えたという逸話さえ残っている。

戦国の世は、どれほど武功を立てても「生まれの低さ」が権威の足を引っ張る時代だった。

そこで秀吉が打ち出したのが「日輪受胎伝説」だ。後世に書かれた『甫庵太閤記』(小瀬甫庵著・1625年頃成立)には、秀吉の父の妻が「日輪が懐に入る夢を見てたちまち身ごもった」と記され、英雄誕生の奇瑞として語られている。

さらに秀吉は自身の御伽衆(お抱えの文化人)である大村由己に伝記を書かせ、関白就任直後の1585年頃には「母親は萩の中納言という貴族の娘で、宮仕えの後に秀吉を生んだ」という天皇落胤説までほのめかした。

当時の公家に「萩中納言」などという人物は存在せず、関白就任を権威づけるために秀吉本人が指示した作り話だったとみられている。

「わしは太陽の子じゃ!」――国書にまで書いた驚愕のハッタリ

さらに驚くべきは、この「日輪の子」伝説が国内向けにとどまらなかった点だ。

文禄元年(1592年)の朝鮮出兵に際し、秀吉が朝鮮国王に送った国書には「自分は母が身籠もったとき日輪が懐中に入る夢を見て生まれた『日輪の子』であり、この奇瑞によって百戦百勝し天下を治めている」と堂々と記されている。

国際外交の舞台で天下人自らが「太陽神の息子」と名乗ったのだ。現代感覚でいえば、首脳会談の公式文書に「私は神の子です」と書いたに等しい。

これは単なる誇大妄想ではない。「神聖な出自を持つ者だけが天下を治める資格がある」という東アジア共通の帝王論理を熟知したうえでの、計算された情報戦略だったと歴史家たちは指摘する。

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