「最多9本塁打」清原和博の伝説 1試合3発と「甲子園は清原のためにあるのか!」の真実【夏の甲子園不滅の記録⑤】

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47都道府県の球児たちが夢をかけて挑む夏の高校野球大会で、今なお語り継がれる怪物がいる。PL学園の清原和博だ。夏の甲子園における個人通算最多本塁打9本、1試合最多本塁打3本――2つの記録は今も破られていない。しかしこの数字は、清原が甲子園で刻んだドラマのほんの一端に過ぎない。

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1年生の4番、先制アーチで全国制覇

清原が初めて甲子園の土を踏んだのは1983年夏、1年生のことだった。名門PL学園の4番に座り、甲子園初本塁打を放ったのは決勝の横浜商(神奈川)戦。1年生ながら、浜風に押し戻されやすい右打者が逆方向となるライト方向へ打ち込んだ技術は傑出していた。

この先制アーチでPLが3対0で快勝し、清原は1年生にして全国の頂点に立った。ただ、この活躍は序章に過ぎなかった。

1試合3本塁打——今も破られない衝撃の記録

2年生となった1984年夏、清原は開幕から別次元の存在感を見せた。初戦で享栄と対戦した清原はなんと3本塁打を放ち、浪商(大阪)香川伸行の記録を塗り替える甲子園7本塁打の新記録を樹立した。4安打6打点の大暴れで14対1と圧勝し、夏の甲子園連覇へ最高のスタートを切った。この1試合3本塁打は現在も甲子園の1試合最多本塁打記録として残っている。

この大会での清原の成績は21打数10安打の打率.476、3本塁打7打点。しかし決勝では名将・木内幸男監督率いる取手二(千葉)に延長10回で敗れ、またしても頂点には届かなかった。KKコンビの悔しさは、翌年に爆発することになる。

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