「最多9本塁打」清原和博の伝説 1試合3発と「甲子園は清原のためにあるのか!」の真実【夏の甲子園不滅の記録⑤】

「甲子園は清原のためにあるのか!」

3年最後の夏、1985年。清原は「決勝で2本塁打を打つ」と予言し、有言実行でその言葉を現実にした。準々決勝では高知商(高知)のエース・中山裕章から「甲子園史上最長」とされる推定飛距離140メートルの特大本塁打を叩き込み、清原自身も「野球人生で最も記憶に残る一発」と後に振り返っている。

そして迎えた宇部商(山口)との決勝。1点を追う4回、古谷投手の内角シュートがわずかに浮いた。怪物がバットを一閃すると、打球は左翼ラッキーゾーンに飛び込んだ。さらに再びリードを許した6回、真ん中高めに浮いた球をバックスクリーンへと叩き込む。

「甲子園は清原のためにあるのか!」――朝日放送アナウンサー・植草貞夫の実況が甲子園に響き渡った。この大会5本目の本塁打は当時の1大会最多新記録でもあった。試合は9回に主将・松山秀明のサヨナラ安打でPLが優勝し、清原は最高の形で高校野球を締めくくった。

5季26試合、打率.440の怪物

清原は5季連続出場で、1年夏に1本・優勝、2年春に3本・準優勝、2年夏に3本・準優勝、3年春に1本・4強、3年夏に5本・優勝。「一度でいいからその土を踏みたい」と願う高校球児も多い中で、実に26試合を戦っている。

1年夏から26試合の通算では91打数40安打の打率.440、13本塁打29打点という、おそらく覆されることのない成績を残している。夏だけで9本という数字は、圧倒的な大舞台での強さと、甲子園そのものへの愛着が生んだ結晶だった。

プロ入り後、清原はこう語っている。「僕には野球の神様がいつもついているような気がする」と。その言葉が最もリアルに感じられたのは、甲子園での18歳の夏だったに違いない。

【夏の甲子園不滅の記録⑥】に続く

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