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内田裕也“クセが強い永遠のロッカー”~灘麻太郎『昭和麻雀群像伝』

内田裕也
内田裕也(C)週刊実話Web

1959年の『日劇ウエスタンカーニバル』でデビューした内田裕也は、60年代の中頃からロック色を強めた活動に転換し、66年6月のビートルズ日本公演では特別編成のバンドで前座出演を果たしている。

67年にはヨーロッパ各国を放浪して、クリーム、ジミ・ヘンドリックス、ピンク・フロイドなど、新しいロックを体験。その後、フラワー・トラベリン・バンドのプロデュースや大規模なフェスティバルの主催など、日本のロックの発展に大きく寄与するが、一方で希代のトラブルメーカーとしても名を馳せた。

私生活では73年に悠木千帆(樹木希林)と結婚。また、91年には東京都知事選挙に立候補して話題を呼んだ。映画俳優をはじめ監督、脚本を手掛け、『水のないプール』『十階のモスキート』『コミック雑誌なんかいらない!』など印象的な作品は、現在も高く評価されている。

2019年に79歳で亡くなるまで、そのロック・スピリットは健在で、天性のふてぶてしさと「ロケンロール」を連発するサービス精神で、日本のロック史に大きな足跡を残した。

裕也の異能ぶりは、麻雀においても遺憾なく発揮された。例えば、自分の当たり牌が他家から出たとき、裕也は奇妙な発声で相手方を驚かせることが少なくない。他人の捨て牌でアガる場合、正式な発声は「ロン」以外にあり得ないのだが、まれに「当たり」とか「それ」と言って牌を倒す人がいる。

「当たり」などはまだ許せる範囲にあるが、中には無言で自分の手牌を開いたり、声高に「高目」などと叫んだりする手合いも存在する。打ち手のクセはさまざまだが、打ち込むほうからすれば「ロン」以外は耳にしたくないものである。

一緒に打つのを嫌がる人はいない

裕也の発声は人を食ったもので、野球のアンパイアのように「ストライク」と言う。自分の持ち牌(ストライク・ゾーン)の中にロン牌が飛び込んできたための「ストライク」なのか、はたまた「ストライク・アウト」(三振)の意味であるのか判然としない。

はっきり言えるのは、振り込んだ人間を不愉快にさせてしまう可能性があることだ。そのことだけは間違いない。ただし、裕也の場合は見かけによらず人柄がいいので、彼と一緒に打つのを嫌がる人はいない。

裕也のクセは「ストライク」宣言だけではない。もう一つあって、こちらも破天荒な彼らしく、トラブルの原因になりかねない。

裕也は「六」のつく牌を「ロクマン(六萬)」「ローピン(六筒)」と言わずに「ロンマン」「ロンピン」などと呼ぶ。以前、裕也がムツゴロウこと畑正憲と卓を囲んだことがあった。畑とは、初めての対戦である。

開始まもなく、裕也がリーチをかけた。待ちは一、四萬で、3巡後に彼は「ロンソ~」と言って六索をツモ切った。

むろん、これはアガり牌ではないからツモ切るのは当然だが、裕也の発声とほぼ同時に、畑が自分の手牌を崩して卓の中央に押し込んでしまった。

「あれっ、畑先生、どうしたんですか」

ビックリした裕也が、そう尋ねると、

「いま、内田さんがロンと言ったから」

と畑は憮然とした表情。

「いえ、僕は『ロンソー』と言っただけで、ロンとは言ってませんよ」

裕也の言い分としては、自分で引いてきた牌がロン(アガり)であれば「ツモ」と言うはず…というものだが、畑はすでに牌を崩した後で、ゲームの再開は不可能であった。

鮮やかな決め打ちで“強さ”を見せつける

何回か裕也と対戦した経験がある人なら、彼のクセに慣れているが、初対面の人間には理解できない。結局、このときはチョンボ扱いになったのだが、裕也には他にも大チョンボのエピソードが残っている。

なんとオープン・リーチに対して、自分の手役に必要ないからと、うっかり当たり牌を捨ててしまったのである。この際のチョンボ代は役満分だったという。

こう書くと、裕也はあまり強くない、ヘボ麻雀だと思う人は多いと思うが、実際には決して下手ではない。真剣に打つと強いのだ。

雑誌の企画で、裕也、桑原研郎(作曲家)、板坂康弘(作家)、灘麻太郎がそろい、ビッグ対局と銘打った催しがあった。

座順は、東家が桑原、灘、裕也、板坂。

対局が始まると、西家の裕也が「僕も先生たちと勝負できて最高です」とサウスポーでビシッと切り出し、東1局から、8巡目に四筒を切り出して「リーチ」をかけた。5巡目に五索、7巡目に三索など、きちんとエサがまかれている。

手の内はタンヤオ、七対子。本来、四筒を切らなければピンフの手だが、あえて決め打ちの二索単騎待ち。

結果、4巡後に自力でツモって満貫。以後も、裕也は好調を維持した。

オーラスとなり、桑原が「ハネ満ツモでトップ逆転だ」と、ドラ一筒の単騎待ちで七対子リーチ。

3巡後に裕也が追いかけリーチ。それから2巡後、桑原が九索をツモ切りすると、好調時の口グセ「ストライク」が出て完全トップ。

この日の2局目、またしても裕也は、二索単騎で満貫をツモアガった。

「絶対に二索待ちにしようと思っていた。今日のメインイベントは、この1局で決まりました」

鮮やかな決め打ち。裕也に強さを見せつけられた一局ではある。

(文中敬称略)

内田裕也(うちだ・ゆうや)
1939(昭和14)年11月17日生まれ~2019(平成31)年3月17日没。日本ロック・シーンの先駆者として活躍し、バンドのプロデュース、イベントの主催、国外ミュージシャンの招聘に尽力する一方、映画でも存在感を示した。

灘麻太郎(なだ・あさたろう)
北海道札幌市出身。大学卒業後、北海道を皮切りに南は沖縄まで、7年間にわたり全国各地を麻雀放浪。その鋭い打ち筋から「カミソリ灘」の異名を持つ。第1期プロ名人位、第2期雀聖位をはじめ数々のタイトルを獲得。日本プロ麻雀連盟名誉会長。

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