【後編】江川卓を追い続けた怒濤の2週間…深夜に見つけた婚約者の車と封印した結婚報道【記者失格 最終回】


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スクープの翌日からも、江川の実家には他社の記者たちが押し寄せ、朝から晩まで江川を待った。私もそのまま2週間以上、江川宅に張り付いた。

信号待ちの車に並び「今の君は長嶋さんと同じだ」と伝えた日

直撃から1週間後、江川が初めて外出し、マスコミが殺気立った。各社が江川の乗った車を見失う中、私の乗ったスポニチの車だけが追跡に成功する。途中、赤信号で停車した江川の車の横に並ぶと、窓を開けて訴えた。
「今の君は長嶋さんと同じなんだ。くしゃみをしただけでもニュースになるんだよ。いろいろとマスコミには話をした方がいい」
熱意が通じたのか、江川は今度は写真入りでの単独インタビューに応じてくれた。

その後、実家には阪神のスカウトらが訪問し、江川も庭に記者たちを招き入れて会見に応じるようになった。そしてこの間、実は婚約者の正子さんも深夜に江川の実家を訪ねていたのだ。

私は毎日、各社の記者が引き上げるのを確認してから、再度実家をチェックしに戻っていた。そしてある日の深夜、見覚えがある正子さんの車が停まっていることに気付いたのだ。呼び鈴を押して出てきた江川に「結婚決まったの?」と切り込むと、質問を聞いた瞬間、いつもは冷静な江川が珍しく怒りの表情を見せ、無言のまま家に戻ってしまった。

社会問題化した「江川事件」とあえて伏せた正子さんの存在

結局、正子さんのことは記事にしなかった。"江川事件"はそれどころではない社会問題にまで発展しており、スポニチ編集局も「あまり刺激するな。結婚問題は後でいい」と判断したのだ。

最終的に江川問題は、コミッショナー裁定によって決着する。巨人のエース・小林繁との電撃トレードで阪神から巨人へ入団した江川の活躍は注目を集め続け、私は婚約者のことをすっかり忘れてしまっていた。

1979年のシーズンオフ、江川は結婚を発表した。それでもあの渦中で、記事にしないでよかったと思っている。正子さんの支えがあったからこそ、江川も日本中を巻き込んだ大騒動を乗り越えることができたのだから…。

騒動から数十年後、現役引退した江川と東京・六本木の寿司屋で偶然会う機会があった。

「あの時はお世話になった。お父さんは元気ですか?」

「いろいろと嫌われ者の私を援護していただいて、迷惑だったでしょう」

江川がすまなそうに言うので、私は返した。

「いやいや。あの張り込み中、お父さんには私の体の心配までしてもらった」

江川は少し沈黙した後、こう口にした。

「……私はあの時、マスコミが嫌いでした」

「それでも、20年に1人の投手と本気で思ったんだ」

「ありがとうございます」

初めて取材した時からの丁寧な物腰は変わっていなかった。昔も今も、私の中で江川は"怪物"ではあっても"悪人"のイメージは欠片もない。

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吉見健明

1946年生まれ。スポーツニッポン新聞社大阪本社報道部(プロ野球担当&副部長)を経てフリーに。法政一高で田淵幸一と正捕手を争い、法大野球部では田淵、山本浩二らと苦楽を共にした。スポニチ時代は“南海・野村監督解任”などスクープを連発した名物記者。『参謀』(森繁和著、講談社)プロデュース。著書多数。