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アントニオ猪木「私には勝てません!」~一度は使ってみたい“プロレスの言霊”

アントニオ猪木「私には勝てません!」~一度は使ってみたい“プロレスの言霊”
アントニオ猪木 (C)週刊実話Web 

日本マット界における歴代ナンバーワンの外国人レスラーといったとき、広く一般層までの知名度や人気となれば、やはりアブドーラ・ザ・ブッチャーがその筆頭に上がるのではないか。しかし、なぜかアントニオ猪木とは、まったく好試合にならなかった…。

1981年5月8日、新日本プロレス『第4回MSGシリーズ』開幕戦。参加選手たちによる恒例のサインボール投げが終わり、テレビ生中継の解説席にやってきたアントニオ猪木が大会への抱負を語っているとき、突然、実況の古舘伊知郎が叫んだ。

「おーっと、カメラはアブドーラ・ザ・ブッチャーをとらえました!」

黒シャツ、黒ネクタイの上に、テレビの照明にひときわ映える白いジャケットを羽織ったブッチャーは、ユセフ・トルコを従えてリングに上がるとIWGPへの参加を宣言した。

すると、これに応えるようにリングへ駆け上がった猪木は、「今日、ここに来たブッチャーの勇気と行動力は称えます。でも、今までブッチャーが闘ってきたようなファイトでは、私には勝てません!」とマイクアピールをした。

ブッチャーの新日参戦については事前に噂として流れていたが、実際に登場したとなればその興奮の度合いは格別で「全日本プロレスのトップ外国人まで参戦するのだから、やはりIWGPは本物だ」と、新日ファンの多くが胸を高鳴らせていた。

だが、後年になって振り返れば、この時が盛り上がりのピーク。ブッチャーの新日参戦は、もともとユセフ・トルコがブッチャーの代理人として、猪木の参謀である新間寿氏のところへ持ってきた話だった。

背後に蠢く“ブッチャー利権”

プロレスファンにはおなじみだったブッチャーだが、『週刊少年マガジン』で漫画『愛しのボッチャー』が連載されたり、清涼飲料水のテレビCMに起用されたり、その人気は一般層にまで拡大していた。

しかし、全日での待遇は従来のままで、それを不服として新日に好条件を求めたのだという。これにはブッチャー本人の意志だけでなく、背後には〝ブッチャー利権〟を求める人々がいたともいわれる。

新間氏をはじめとする新日フロント陣は、「IWGPの箔付けになる」「集客が見込める」などの理由からブッチャー移籍に前のめりになったが、肝心の猪木は当初から、さほど関心を示さなかったという。

結果的にGOサインは出したものの、それでもジャイアント馬場との関係やブッチャーを取り巻く連中のこと、そして実際どのようにブッチャーと闘うべきか、猪木にも迷いがあったのだろう。さらには、ブッチャー側が高額のファイトマネー以外に、「3年間フォール負けなし」との条件を出していたともいわれ、そうした諸々についての複雑な思いもあったに違いない。

猪木の最初の「私には勝てない」という上から目線のマイクは、もちろんライバルである馬場を格下扱いして、新日総帥としての気概を示したものだが、本音のところではブッチャーとの対戦に後ろ向きだったことが、猪木にそのようなセリフを選ばせたとも考えられる。

その証拠に、ブッチャーは初登場の際に「カリビアンヘビー級王座」という実態不明のベルトを持参しており、これはIWGPに南米代表として参戦するとの意味であったが、結局、実現しなかった。新日参戦に合わせて、ブッチャーはメキシコマットでペロ・アグアヨと悪役コンビを組むなど、IWGP南米代表としての下地づくりをしていたにもかかわらず、である。

シングル対決はわずか2回だけ

ブッチャーのIWGP不参加については、それ以外のシリーズの主役にしたいという営業サイドからの要請があったともいわれるが、猪木自身が「ブッチャーに価値あり」と考えていたなら、当然、IWGPに参加させていただろう。

ブッチャーの新日での初試合は81年6月24日、蔵前国技館でスタン・ハンセンと組み、猪木と谷津嘉章とのタッグマッチとなったが、もともとのメインイベントは猪木&ダスティ・ローデス組VSハンセン&タイガー・ジェット・シン組のタッグマッチだったという。ブッチャーはセミファイナルで、キラー・カーンとの対戦が組まれていた。

しかし、大会直前にシンが全日へ移籍。また、ローデスも直前にNWA王座に就いたことでカード変更を余儀なくされた。この日はテレビの生中継特番ということで話題性も求められ、そこで幻のモスクワ五輪代表として鳴り物入りで入団した谷津を急きょ抜擢したという裏事情があった。

話題性ということであれば、ここで猪木VSブッチャーのシングル戦を持ってくるのが最も自然であったようにも思えるが、それをやらなかったのは、やはり猪木がブッチャーを評価していなかった、あるいは避けていたからではないか。

実際、その後も両者のシングル戦が予定されながらカード変更となったことは何度かあったようで、これではブッチャーの新日時代に実現したわずか2回の猪木とのシングル戦が、凡戦に終わったのも仕方のないところであろう。

《文・脇本深八》

アントニオ猪木
ROFILE●1943年2月20日生まれ。神奈川県横浜市出身。身長191センチ、体重110キロ。得意技/卍固め、延髄斬り、ジャーマン・スープレックス・ホールド。

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