毛利元就の莫大な銀貨と一夜で消えた黄金の城 2つの“戦国マネー伝説”【戦国お宝ミステリー3】

戦では秀吉も手を焼いた中国地方の雄

大河ドラマ『豊臣兄弟!』を見ても分かる通り、戦をするには金がいる。そのため、戦国武将たちは軍資金を貯えるのに余念がなかく、その一部が埋蔵金として現代にも伝わっている。
そんな“戦国のお宝伝説”の残る8つの有力地を短期連載でご紹介。第3回目は中国地方の有力武将・毛利元就の軍資金だ。(全5回中の3回)

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40年で1500トンの銀を産出 現存する石州銀は1枚450万円以上

信長や秀吉も恐れた中国地方の雄・毛利氏は、元就の頃に勢力を強めた。大内氏や尼子氏と争い石見銀山を手に入れたことが最大の理由だが、この銀山を毛利氏は約40年間支配し、推定1500トンもの銀を掘り出した。その大半は海外での銀需要に従って輸出されたが、鋳造された「石州銀」と呼ばれる銀貨は現存物が極めて少なく、骨董相場で1枚450万円以上もするという。

そのため、同地方には古くから「実はどこかに大量の銀貨が隠されているのではないか?」とのうわさが絶えなかったが、近年、この可能性が高まっているのだ。

要塞のような寺に伝わる軍資金の隠し場所説

現在、有力説の一つとなっているのは、平清盛が開削したといわれる音戸ノ瀬戸(おんどのせと)。この狭い海峡を見下ろす広島県呉市の高台に法専寺という寺があり、そのどこかに銀貨が埋められている可能性が指摘されている。

というのも、この寺には武者返しを施した石垣があり、毛利の子孫が代々住職を務めていたという。また、元就の孫の輝元は豊臣秀吉に銀3000枚を献上したことが分かっているが、謁見の前にわざわざ遠回りしてこの寺に立ち寄っていた史実が残されているからだ。それゆえ、寺が銀の保管場所の役割を果たしていた可能性が、浮上しているのである。

大地震で一瞬にして埋もれた黄金の城・帰雲城の埋蔵金

一方、岐阜県にも有力な埋蔵金伝説が伝わっている。1585年(天正13年)11月、北陸地方をM8クラスの大地震が襲った。このとき、岐阜県白川村にあった帰雲山が山頂から崩壊し、大量の土砂が山麓に押し寄せて庄川のほとりにあった城を、莫大な黄金もろとも埋め尽くしたという。

この帰雲城の黄金伝説は長く飛騨地方に語り継がれてきたが、史実であることが明らかとなったのは、1970年ごろに城主の内ヶ嶋氏にまつわる文書が発見されてから。そこには同氏がこの地へやって来た理由が足利義政の命による金銀山の開発だったことが書かれていたため、がぜん伝説の信ぴょう性が高まったのである。

ただ、押し寄せた土砂は想像を絶する量だったようで、城の場所は今もって不明。史実であることが話題を集めてからは、慰霊碑が建てられ調査が検討されたこともあるが、なかなか具体化しない状態なのだ。

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