上杉謙信が託した軍用金500万両 群馬県・桐生市に伝わる埋蔵金伝説と辞世の句の手がかり【戦国お宝ミステリー2】

佐渡金山が財力の源だった

大河ドラマ『豊臣兄弟!』が好評を得ているが、戦をするには金がいる。そのため、戦国武将たちは軍資金を貯えるのに余念がなく、その一部が埋蔵金として現代にも伝わっている。
そんな“戦国のお宝伝説”の残る8つの有力地を短期連載でご紹介。第2回目は北関東に伝わる上杉謙信の軍用金だ。(全5回中の2回)

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佐渡金山が支えた上杉軍資金

上杉氏が治めていた越後には、武田の甲斐に勝るとも劣らない金山が存在した。それが出羽との国境に近い朝日山地にあった越後黄金山と、平安時代から砂金がとれた佐渡だった。そして、ここから産出された金が上杉越後小判金に鋳造され、天下取りを目指す軍用金に用いられたのである。

500万両を託した直後に謙信が急死

ただし、その天下取りの夢は困難を極めた。信濃の川中島で武田信玄と争いを続けていた謙信は、一方で関東の制圧を試みたがなかなかうまくいかなかった。並み居る武将たちが、味方についたり、裏切ったりを繰り返していたからだ。

ただ、その中で現在の群馬県桐生市を中心に上州を支配していた深澤定政だけは、常に上杉の味方だった。そこで、あるとき謙信は定政を見込んで500万両の軍用金を託したが、その直後に脳卒中に見舞われ急死したと伝えられているのだ。

その後、この莫大な軍用金はどうなったのか? 深澤家には、その行方を示す次のような伝承があるという。定政から数えて5代目の子孫が、山城に保管されていた軍用金を新たに建てた山裾の屋敷に移し、さらにそれを14代目が別の場所に埋蔵した。


墓に刻まれた辞世の句が手がかり

いずれも江戸時代になってからのことだが、亡くなった14代目の墓の台座に彫られた「入江まで くまなく照らす水の月 浮世をかけて ひかりあらはる」という辞世の句が、埋蔵地を示しているといわれている。

また、これとは別に14代目の夫人の位牌には、手がかりになりそうな文字や図形も描かれていた。そのため、これら物証をもとに19代目が屋敷内をくまなく掘ってみたが、発見できないまま今日に至っている。もし実在すれば、途方もない巨宝なのだが…。

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