戦国最強の軍師ランキングBest8! 竹中半兵衛・黒田官兵衛を超えたのは誰だ

菅田将暉(C)週刊実話Web

NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』の6月14日放送分で竹中半兵衛(菅田将暉)がこの世を去り、21日放送分では播磨・有岡城に幽閉されていた小寺官兵衛(倉悠貴=のちの黒田官兵衛)がこの城の落城とともに織田軍に復帰。軍師となる物語が展開したが、そうした流れもあって視聴者の間で「結局、史上最強の軍師は誰だったのか」という議論が再燃している。

本ランキングは、各軍師が残した知略・実績・主君への貢献度を基準に編集部が独自に選定したもの。あくまで一つの見方として、戦国を陰で動かした智将たちの真の実力を見ていこう。

第1位 黒田官兵衛(黒田孝高)

NHK大河で注目株

豊臣秀吉の参謀として中国攻めから本能寺の変後の電撃帰京までを支え、竹中半兵衛と並び称される「両兵衛」の片割れとして名を馳せた。

兵糧攻めや調略を駆使し、できるだけ犠牲を出さずに勝利へ導く手腕は当時から一級品と評価されていた。秀吉が「100万石を与えれば天下を奪う」と漏らしたという逸話も伝わるが、こうした人物評は後世の語り物による誇張も含まれるとされ、史実としての裏付けは慎重に見る必要がある。

第2位 竹中半兵衛(竹中重治)

こちらも『豊臣兄弟!』で人気上昇

わずかな兵で美濃国、斎藤氏の居城・稲葉山城を一日で陥落させたという逸話で知られた武将で、のちに秀吉軍の参謀となった。病弱な体でありながら知略は群を抜いていたと伝わる。ただし軍功にまつわる美談の多くは後世の軍記物による創作の可能性が指摘されており、史実上の実像は不明瞭な部分が多い。36歳での早世が惜しまれた人物である。

第3位 真田昌幸(表裏比興の者)

徳川と対峙した智将

武田信玄に「我が目のごとし」と評されたとされる知将で、上田合戦では二度にわたり徳川軍を撃退し、家康を大いに恐れさせたと伝わる。関ヶ原の戦いでは西軍に与して改易されたものの、嫡男・信之と次男・信繁(幸村)を東西に分けて家の存続を図った判断は、戦国乱世を生き抜く軍師としての真骨頂と言える。「表裏比興」と評された変わり身の早さも実力の証だった。

第4位 直江兼続(米沢藩の名執政)

上杉家の軍事・内政の両面を支えた

上杉景勝の家老として軍事・内政の両面を支えた知将。徳川家康を挑発したとされる書簡「直江状」は関ヶ原の戦いの引き金になったとも語られ、その胆力が窺える。関ヶ原後の大幅減封にも家臣を一人もリストラしなかった逸話は人望の厚さを物語る。なお直江状の内容や経緯には現在も研究者間で議論があり、すべてを史実として断定するのは難しい。

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