戦国最強の軍師ランキングBest8! 竹中半兵衛・黒田官兵衛を超えたのは誰だ

第5位 山本勘助

実は幻の軍師

武田信玄に仕え、武田軍の軍略を支えたとされる軍師。長らく『甲陽軍鑑』にのみ登場する「幻の軍師」として実在を疑われていたが、1969年に発見された古文書により存在が確認された。川中島の戦いで命を落としたと伝わるが、具体的な戦功の多くは軍記物による後年の脚色を含むとされ、どこまでが史実かは今も研究が続いている。

第6位 太原雪斎

雪斎が開寺した臨済寺(静岡県静岡市)

今川義元の教育係として育成にあたり、家督争いを収めて当主の座に就けた今川家の知恵袋。武田・北条との甲相駿三国同盟を成立させ、今川家の最盛期を演出した功績は大きい。雪斎の死後、義元が桶狭間の戦いで織田信長に敗れたことから、「雪斎が存命であれば結果は違った」とする見方も歴史好きの間で語られている。

第7位 立花道雪(戸次鑑連)

大友宗麟に仕えた猛将

大友宗麟に仕え、14歳で家督を継いで以来、数々の合戦で総大将を任された豊後の猛将。主君が酒色に流れた際も物おじせず諫言したと伝わり、家臣には深い情を見せた人物像が語り継がれる。「雷を斬った」という逸話は後世の伝説的要素が強いものの、九州随一の知将として大友家を支えた実績そのものは高く評価されている。

第8位 毛利元就

“調略の鬼”と呼ばれた中国地方の覇者

安芸の小領主から中国地方を制する大大名へと躍進させた知略の主。厳島の戦いでは水軍を活用し、大内氏配下の陶晴賢を奇襲で破った戦術は今なお高く評価される。「三本の矢」の逸話は後世の創作ともされるが、息子たちを結束させる統率力でも知られ、次男と三男を有力な分家に容姿に入れて築いた「毛利両川体制」は中国地方制覇に大きく貢献し、軍師的な知略と大名としての実績を兼ね備えた稀有な存在だった。

今回紹介した8人はいずれも、主君の天下取りや家の存続を陰で支えた知将たちだ。ただし軍師の評価軸は知略・忠誠心・戦果のどこに重きを置くかで大きく変わり、後世に語られる逸話の中には誇張も少なくない。大河ドラマ『豊臣兄弟!』の今後の展開で、新たな“最強候補”が再評価される可能性にも注目したい。

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