5度目の挑戦で天下取り…石破茂はなぜ“短命政権”に終わったのか【歴代総理とっておきの話】

党内からの「石破辞めろ」大合唱に1カ月半抵抗

一方で、長引く物価高、とくにコメの価格高騰にはもまれ続け、これらも世論のバッシングを浴びた。

加えて、衆院選で与党が惨敗、少数与党へ転落したあと、翌年6月の東京都議会選でも自民党は大敗を喫し、その1カ月後の参院選も衆院同様に与党は惨敗、衆参ともに少数与党となり、石破は「選挙の顔」とは無縁の体たらくだった。

しかも、石破は参院選の惨敗をもってもその責任を曖昧にし、投開票日の7月20日には夜のテレビ番組に出演して、早々に「続投」の意向を表明。その後も党内からの「石破辞めろ」の大合唱に、じつに1カ月半も抵抗し続けたのである。

一方で、着々と“石破包囲網”はせばまり、臨時総裁選を要求する書面の提出日も決まるなど、党内の動きは風雲急を告げた。そして、ついにその書面提出の前日となる9月7日の夜、石破は記者会見を行い、ここでの退陣表明を余儀なくされることになった。

「このまま(手続きが)進んでは、党内に決定的な分断を生みかねない。それは自分の本意ではなく、後進に道を譲る決断をした。私が次の総裁選に出ることはない」

かくて石破は、田中角栄いわくの運を得ての天下取りには成功したものの、田中に胸を張れるだけの実績をなんら残せず、たった1年で政権に幕を下ろしたのだった。

田中が存命中だったら、石破の尾羽打ち枯らしての退陣劇を見て、「ワシは運だけで総理大臣になれるとは言った覚えはないぞ」と、苦言を呈したのではないかと思われる。

石破に退陣話が出始めた頃には、はや世論(共同通信調査)は「次の総裁にふさわしい人」の1位に高市早苗を挙げていたのだった。

(本文中敬称略/次回は高市早苗)

「週刊実話」6月18日号より

小林吉弥(こばやし・きちや)

政治評論家。早稲田大学卒。半世紀を超える永田町取材歴を通じて、抜群の確度を誇る政局・選挙分析に定評がある。最近刊に『田中角栄名言集』(幻冬舎)、『戦後総理36人の採点表』(ビジネス社)などがある。