松本明子、放送禁止用語事件から"バラドルの女王"へ どん底から這い上がった“不屈の生存戦略”【丙午有名人の履歴書12】

松本明子(C)週刊実話Web

「丙午(ひのえうま)の女は気性が荒く、夫を不幸にする」と言われるが、実際はこの干支生まれの女性は負けず嫌いで情熱家、隠し事もしない剛毅な性格の持ち主が多い。

今年還暦を迎える昭和41年生まれの女性有名人の中でも、生放送での大失態という「地獄」から這い上がり、“バラエティーの女王”として不死鳥のごとく蘇った松本明子の履歴書は、異質の輝きを放っている。

1984年の奈落と、丙午の「過剰なサービス精神」

1982年、オーディション番組『スター誕生!』(日本テレビ系)のチャンピオン大会で合格し、翌年歌手デビュー。当初は清純派アイドルとして売り出された松本明子だったが、1984年に運命の歯車が狂う。

生放送中に周囲からそそのかされ、絶対に口にしてはいけない「禁断の4文字」を絶叫。その瞬間、彼女のアイドル人生は事実上の“死を”宣告された。

この一件は今なお伝説として語り継がれているが、その背景にあるのは丙午特有の「過剰なサービス精神」だ。

「同じ丙午の小泉今日子であれば、クールな客観性で自己を律し、そんな無茶なフリは鼻で笑い飛ばしたでしょう。しかし松本は違った。周囲の期待に120%応えようとして、火の中に自ら飛び込んでしまった。あの放送禁止用語事件は、丙午の熱すぎるエネルギーが、サービス精神という名の暴走に繋がった最悪の例といえます」(ベテラン芸能記者)

2年間の謹慎生活を支えた執念のド根性

事件後、約2年間に及ぶ謹慎生活を余儀なくされた彼女が選んだのは、引退でも逃亡でもなかった。仕事がなくて東京・中野駅の女子トイレで一日時間を潰したこともあったという。そうして時間を潰しながら復帰のチャンスを待ち続けた。

「同じく負けず嫌いで知られる『おニャン子』出身の国生さゆりが、常に『ヒロインとしてのプライド』を武器に逆風と戦うスタイルだとしたら、松本は真逆でした。彼女は『プライドを捨てる強さ』でどん底から生還した。モノマネやリアクション芸に活路を見出し、アイドルが泥にまみれる“バラドル”というジャンルを自ら切り拓いたのです。あの不屈の生命力こそ、野に放たれてからが本領発揮となる丙午女性の真骨頂でしょう」(テレビ局関係者)

アイドルの看板を自ら壊し、現場を盛り上げるためなら何でもやる。その潔さが、中山秀征らとの『DAISUKI!』や『電波少年』(共に日本テレビ系)での大躍進へと繋がっていく。

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