【豊臣兄弟の愛憎と溝】「女好きの兄」秀吉と「律儀な弟」秀長を分かつ"側室の数"

池松壮亮(C)週刊実話Web

NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』(毎週日曜夜8時~)は、豊臣秀吉(池松壮亮)と秀長(仲野太賀)が貧しい農民から天下人へと駆け上がっていく姿が描かれ、人気を博している。

ドラマでも毎回、秀吉のぶちゃぶりを弟の秀長が優秀な実務能力でこなしていく姿が話題を呼ぶが、絆が固い二人の間には実は戦場でも政務でも埋まらない「溝」があった。それが、女性をめぐる価値観の決定的な違いだったのだ。

秀吉の側室は「20人以上」——宣教師も驚愕した天下人の好色

「強烈な肉欲に取り憑かれている」——これは戦国時代に日本を訪れたイエズス会宣教師・ルイス・フロイスが、豊臣秀吉について記した記録の一節だ。

フロイスの著書『日本史』には、秀吉には300人もの愛人がいるように映ったと記されており、その女性遍歴は当時の外国人の目にも際立って映った。

「史実として確認できる正室・側室を合計すると、秀吉の妻たちは20人以上にのぼった。正室の寧々(北政所・浜辺美波)をはじめ、織田信長の姪・淀殿(茶々)、京極家出身の松の丸殿(京極竜子)、前田利家の娘・加賀殿(摩阿姫)、信長の娘・三の丸殿など、錚々たる家柄の女性たちが名を連ねていました。天下統一を果たした秀吉にとって、側室を迎えることは政略上の意味も持っていたが、それ以上に“本人の好色ぶり”が多くの記録に残っている点は否定しがたい事実と言えます」(歴史専門誌編集者)

ちなみに、寧々は夫の女性関係に長年苦しめられ、かつて信長に「どこを探しても、そなたほどの女性を二度とあの禿ねずみは見付けることができないだろう」という慰めの手紙を送られたことでも知られている。

天下人の正室として華やかに見える立場の裏で、側室たちとの絶え間ない葛藤があったと推測されているのである。

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