派閥解散から“キングメーカー”へ…岸田文雄の秘めたしたたかさ【歴代総理とっておきの話】

“朝令暮改”と批判された岸田政権の実像

しかし、令和3(2021)年10月、第100代首相に就任した岸田は、こうしたイメージとは“色合い”が違っていた。

例えば、首相になって約1年後には「安保関連3文書」を改定し、敵基地攻撃能力(反撃能力)の保有を決める一方、防衛費は国内総生産(GDP)比2%まで増やすとして、防衛力強化のための増税方針を打ち出した。SNSで揶揄された「増税メガネ」とのあだ名も、このあたりに由来している。また、国会での改憲論議にも、タブー視せずの姿勢で臨んでいた。

こうした従来の宏池会出身者とは一線を画したように見える岸田政権は、まず折からのコロナ禍への対応と経済活動の再開、この2つをどう両立させるか、冷えている中国、韓国との関係に、どう対応していくかなど、難問山積のなかで出発した。

とくに大きく旗を振ったのが、安倍元首相の「アベノミクス」の向こうを張るように、競争と規制緩和を重視した“新自由主義的政策”からの転換であった。格差是正を窺い、経済成長の果実をとりわけ中低所得者に手厚く分配するとして、超大型の経済対策「新しい資本主義」を標榜、こうした提言には国民からの拍手も多かった。

しかし、コロナ禍でダメージを受けた個人向けに、経済対策の目玉とした「給付金」をめぐり、政権のドタバタぶりを露呈。これが自民党内の反岸田勢力を勢いづかせるとともに、国民に大きな失望感を抱かせることになった。岸田政権は当初の方針を短期間で転換するなど、まさに“朝令暮改”を連発したのである。

自民党ベテラン議員が当時を振り返る。

「岸田首相は端的に言えば、“状況対応型”の政権運営だった。最大派閥の安倍派など、周囲の意向をひとまず分析。そのうえで、やるとなったらあまり話は聞かずに、ゴーといった具合だ。結果、党内調整、根回し不足を露呈し、あまり深く考えた政権運営ではないと、見破られた格好でもあった。よく言えばスピード感、決断力があるということになるが、一方で八方美人的な“やってる感”が目立った政権運営でもあった」

それでも、岸田政権は令和3年の衆院選と翌年の参院選に勝利したことで、以後、衆院の解散がなければ3年間は“無風”で政権運営に取り組めるとされ、当時のメディアからは「黄金の3年」の言葉が与えられていた。