『豊臣兄弟!』秀長が遺した「黄金の蔵」の謎。死後に発覚した金銀5万枚超、現代価値なら数千億円!?

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大河ドラマ『豊臣兄弟!』で、兄・秀吉の天下取りを献身的に支える「理想の弟」として描かれる豊臣秀長。だが、天正19年(1591年)に彼が病没した直後、居城・大和郡山城(奈良県)で発覚した「ある事実」は、当時の公家や僧侶たちを震撼させた。

城内の蔵から、個人の所有物としては考えられないほどの「金銀の山」が発見されたからだ。

一次史料が明かす衝撃の「金5万6000枚」

秀長の死後、その遺産の凄まじさを記録したのは、【興福寺多聞院の院主・英俊】である。彼の日記『多聞院日記』によれば、秀長の死から数日後、城内を検分したところ「金子(きんす)5万6000余枚」が見つかったという。

さらに銀子にいたっては「二間(約3.6メートル)四方の部屋に満杯」になるほどの量だったと記されている。

「ただ、この記述には重要な文脈がある。英俊は興福寺という、秀長の大和統治によって既得権を剥奪された側の人間であり、日記の筆致も秀長の蓄財を批判するニュアンスを帯びている。一次史料としての価値は高いが、バイアスのかかった記録である点は念頭に置く必要があるとも指摘されているのです」(歴史専門誌の編集者)

後世の創作や小説では、秀長を「無欲な調整役」として描くことが多いが、現実は極めてシビアな「蓄財家」としての顔も持っていたわけだ。

なお、「大和金山を管理していた」という話が一部で語られることがあるが、出所が明確でなく史実としての裏付けに乏しい。むしろ、大和国(奈良県)という寺社勢力が強い土地柄において、物流の掌握や、寺社・商人に対する「ならかし(奈良貸し)」と呼ばれる強引な高利貸行為が、この莫大な富の源泉だったという指摘があるほどだ。

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