『豊臣兄弟!』秀長が遺した「黄金の蔵」の謎。死後に発覚した金銀5万枚超、現代価値なら数千億円!?

現代価値なら「3000億円超」? 多角的な価値換算

この遺産、現代の価値に換算すると一体いくらになるのか。戦国時代の貨幣価値を現代の円に直すのは至難の業だが、いくつかの尺度で計算してみよう。

まず、当時の「金1枚」を当時の米価基準(1石=現代の約5〜10万円)で換算し、さらに江戸時代初期の大判・小判の価値をスライドさせると、金子5万6000枚だけでも数百億から、手法によっては「1000億円」を軽く超える。

ここに「二間四方の銀」を加味すれば、その総資産は3000億円から5000億円規模に達するという試算もある。まさに現代のメガバンクや国家予算にも匹敵するインパクトだ。

当時の日本においてこれほどの流動資産を一箇所に集中させていたのは、主君である秀吉を除けば秀長をおいて他にいない。

「調整役」と呼ばれた男の、最後のリスクマネジメント

これほどの金を、秀長はなぜ貯め込んだのか。注目すべきは、彼が「私欲のために浪費した」という記録がほとんどない点だ。

「そのため、豊臣政権の実質的なナンバー2だった秀長が蓄えたこの莫大な資産は、兄・秀吉の暴走や不測の事態に備えた『政権維持のための保険金』だった可能性が高い。実際、秀長が病床に伏すと、秀吉はこれらを使って朝鮮出兵の準備を加速させていたほどなのです」(歴史研究家)

皮肉なことに、秀長が遺した「黄金の山」は彼の死後、秀吉によって回収され、その後の文禄・慶長の役という泥沼の戦費へと消えていった。秀長という「重石」と「金庫番」を同時に失ったことで、豊臣家の財政基盤と精神的支柱は、もろくも崩れ去ることとなった。

黄金に彩られた豊臣政権の栄華。その輝きの正体は、理想に燃える兄弟愛だけでなく、秀長が冷徹に積み上げた「金銀の山」という、極めて現実的な土台の上に成り立っていたのである。

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