GWは自宅で「屁理屈」を肴に一杯。マキタスポーツら“文系芸人”と過ごす、最高に不真面目で知的な「耳の贅沢」

「パン政倫審」勃発? クロワッサンに宿る人生の哀愁

最近の放送でも、その「論」の切れ味は冴えわたっている。例えば「これはパンですか?論」という、一見すればどうでもいいテーマ。しかし、マキタが「世の中がこんなにパン好きだらけだとは思わなかった。いつ食べればいいのかわからない」とパンへの温度の低さを告白すると、場は一変する。

「お腹いっぱいになりすぎないから好き」と語るタツオが、山形駅で夜食用の総菜パンを買い込むエピソードを披露すれば、鹿島は「パン政倫審(パン倫審)」を招集。さらに、バイキングで焼き上がったばかりのクロワッサンの皮が剥がれ落ちている様を、鹿島は「夏休みの小学生の日焼けのあと」と表現した。

この、無駄に解像度の高い比喩こそが彼らの真骨頂だ。パンを単なる食べ物としてではなく、人間のライフスタイルや価値観を炙り出す「装置」として語り合う。その知的かつ馬鹿馬鹿しい応酬に、読者はいつしか「自分にとってパンとは何か」を真剣に考えさせられてしまうのだ。

「毎日、気を失いたい」――酒に呑まれる男たちの祈り

おじさん読者の琴線に最も触れるのは、やはり「お酒」にまつわる人生観だろう。「お酒の飲み方論」では、下戸であるタツオが紹介したある落語家のエピソードが強烈なインパクトを残した。

「毎日、最後は記憶がない。毎日、気を失いたい」。この一文に、マキタは「どんだけ日常が辛いんだ!」と驚愕しつつも、どこか共感の混じった絶句を見せる。

一方、プチ鹿島は自らの酒量を「野球の投手成績」に例えて分析する。かつては料理が届く前に寝落ちする「防御率5点台の荒っぽい先発」だったが、最近は自分の限界を弁え、試合(酒席)を壊さない「打たせて取るピッチング」を覚えたという。

「プシュッ」という缶の開栓音を「1日のリセットボタン」と呼ぶ彼らの言葉には、現代社会の荒波を生き抜く男たちの、切実な「祈り」のような哀愁が漂っている。