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歌手・都はるみ“変幻自在!プロも感心する腕前”~灘麻太郎『昭和麻雀群像伝』

都はるみ
都はるみ (C)週刊実話Web

戦後の芸能界に〝女王〟として君臨した美空ひばりは、後輩の女性歌手に多大な影響を与えたが、その中で最も大成したのは都はるみだろう。

彼女は、マスコミがこぞってひばりを神格化する風潮を良しとせず、対抗心を示して周囲を凍てつかせたほど〝女王〟を意識していた。

ひばりには強力なステージママ(喜美枝)が存在していたが、はるみの母親である松代も娘に対して過剰な期待を寄せていた。

1950年代初頭、ひばりはすでに天才少女と騒がれており、松代の心は娘を歌手にしたいという願望で膨れ上がっていた。はるみが5歳のときから日本舞踊とバレエを習わせ、中学入学後、歌謡教室で本格的な歌の勉強を始めるまでは、娘の個人指導に明け暮れていた。

松代は無類の浪曲、民謡好きであった。特に浪曲を得意にしていた彼女は、こぶしを利かせる独特の歌唱法を徹底的に仕込んでいく。これが後の〝はるみ節〟の原型となり、母親の前で浪曲を一節うなると10円もらえたため、娘時代のはるみは小遣い銭欲しさに努力を重ねたという。

子供に芸道の手ほどきをしたくらいだから、万事にさばけた母親だった。はるみが麻雀を覚えたのも早い時期で、若くして熟練の域に達していた。憧れのひばりも麻雀に関して相当な執着を示していたが、はるみもまた引けを取らない。

一般に女性の麻雀には、大別して二つのパターンがある。一つは直感優先のストレート打法。理論よりもフィーリングで向かってくるから、女性と卓を囲むことを苦手にしている打ち手は結構いる。

もう一つのタイプは勝ち負けよりもアガり役、つまり手牌に惚れるパターンで、こちらは性別を問わず誰からも歓迎される。大事なお客さん、というわけだ。

“隠れマンション”で卓を囲む

はるみは、どちらの型にも属さない。変幻自在型だろうか。相手に手の内を読ませずに淡々と、時にはにぎやかに打ち進めていく。これは自信と余裕がある証拠で、蓄積されたキャリアの賜物であろう。

ハワイアン歌手で『南国の夜』のヒット曲で知られる南かおるは、はるみとは友人同士で、一緒に麻雀を打ったり、お互いのコンサートに顔を出したり、行動を共にする仲だった。

まだ携帯電話が存在せず、お互いに連絡を取りにくい頃ではあったが、仕事がオフのときは自ずと〝隠れマンション〟で麻雀となる。その日のメンバーは都はるみ、南かおる、ハワイアンバンドのポス宮崎、灘麻太郎の4人であった。

親しい仲間と卓を囲むときは、はるみの個性が遺憾なく発揮される。一発、裏ドラで勢いに乗れば、口三味線やジョークが飛び交う。

「♪アンコ椿はァ~」

リーチをかけて、大きな手をアガったときには、気持ち良さそうに『アンコ椿は恋の花』をうなる。

はるみが親のときに東を切れば、「ちょっと待ちぃな、いや、やめとこ」と時代がかる。実際は東を持っていないのだが、思わせぶりに口三味線をひいたのだ。

上家が二萬を切ると「どないしようか、エイ、食っちゃお」と一萬、三萬のカンチャンをチー。なにせ、三味線がこう続けて出ては正体が分からない。

対面が、浮いているドラの九索を切り出すや「アタリ、満貫」と、してやったり。食いを入れても、純チャン、三色、ドラ1で親満。それにしても親の満貫と見越して先ヅケするあたり、腕前はかなりのものだ。

彼女の発言をまともに聞いていると、術中にはまってしまうから聞き流す。すると意外に本音であったりして、まずます悩まされることになる。〝はるみ節〟麻雀は奥が深いのだ。

妙手を見破りニッコリ笑顔

昔の打ち手は結構マナーに厳しい人が多かった。そんなグループの中ではるみが打っており、プロの荒正義もいて、彼がそのときの様子を私に報告してきた。

「チー、ポン、ロン、リーチ、テンパイ、満貫…」といった麻雀用話以外は、無駄な話をまったくせず、終始にこやかな品のいい麻雀で楽しかったという。

はるみの腕前はかなりのもので、七筒、一筒を切っていた荒が、9巡目でカンチャンの四筒待ち、三、四、五の三色手でリーチをかけた。しかし、当たり牌は出ず、ツモれずで流局となり、荒が手を開く。

すると、それを見てニコッと笑ったはるみが手を開くと、四筒の単騎待ち。はるみは「テンパイです」と言って、平然とノーテン棒を受け取ったという。

「普通なら『この四筒、当たると思って止めました』ぐらい自慢げに言ってもいいのに、喜びを表に出さないところが彼女の奥ゆかしさなんですね」

荒も感心しきりだった。

局面が変わってはるみが親となり、ツモ、捨てを繰り返した11巡目。荒が今度こそ勝負とばかりに三萬を切り飛ばし、「リーチ」と声を上げると、

「ロン! 満貫です」

はるみがまた、荒の顔を見てニッコリ。ところが、その笑顔が素晴らしく「こんないい女を間近で見ることができたんだから」と、荒は打ち込んだにもかかわらず、何か得をしたような気分だったという。

メンバーに応じて、楽しく、弾けながら打つ。マナーが厳しい場面では、静かに、品よく臨機応変に打ち分ける。さすがは天下の都はるみ、何事においても達者であった。

(文中敬称略)

都はるみ(みやこ・はるみ)
1948(昭和23)年2月22日生まれ。64年に歌手デビュー。『アンコ椿は恋の花』『北の宿から』『大阪しぐれ』などを大ヒットさせ、日本を代表する女性演歌歌手として活躍した。引退、復帰を経て現在は芸能活動を休止している。

灘麻太郎(なだ・あさたろう)
北海道札幌市出身。大学卒業後、北海道を皮切りに南は沖縄まで、7年間にわたり全国各地を麻雀放浪。その鋭い打ち筋から「カミソリ灘」の異名を持つ。第1期プロ名人位、第2期雀聖位をはじめ数々のタイトルを獲得。日本プロ麻雀連盟名誉会長。

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