2度の政局読み違えで万事休す…野田佳彦に欠けていた“政略”【歴代総理とっておきの話】

解散決断と歴史的大敗

それでも民主党内には、この“火中の栗”を拾おうとする者はなく、9月の代表選ではやむを得ず野田が「再選」されている。しかし、政権はすでに体力を失い、衆院の解散を迫る自民党の圧力に押され、もはやあらがうことは難しくなっていた。

そうしたなか、臨時国会終盤の11月に入って、野田首相と自民党・安倍総裁との「党首討論(クエスチョン・タイム)」が行われた。

ここで、野田がこう切り出した。

「当国会中に自民党が衆院議員数削減法案に協力するというなら、16日に衆議院解散の約束をしてもいい」

これには安倍も“待ってました”である。政権奪還のチャンス到来とばかり、野田に「協力」を明言して12月の総選挙に突入。このあたりでは、野田の政治家としては真っ正直すぎる性格、政局観の甘さも顔を出したのである。

一方で、小沢は民主党を離脱した議員を集め、嘉田由紀子・滋賀県知事を代表とする「日本未来の党」を結成し、総選挙に臨んだ。

結果、民主党は選挙前の230議席から、じつに57議席に大激減、日本未来の党も選挙前の61議席から、わずか9議席となり、ここでは小沢の仕掛けも失敗した。すでに、選挙戦への取り組みは、自民党が一歩も二歩も先行していたのである。かくて、野田にとっても選挙はすべてが裏目に出て、引責による首相の辞意表明を余儀なくされている。

野田の退陣を受けた選挙後の特別国会では、自民党の安倍総裁が首相に指名され、5年ぶりの「再登板」を果たすことになった。

振り返れば、わずか3年3カ月で幕を降ろした民主党政権は、自民党とは一味違った「政治主導」「脱・官僚主義」を標榜しつつ、この国の舵取りを夢見ていたが、あまりに儚く散ってしまった。

中道改革連合の敗北

時は過ぎて、昨年10月に登場した「日本初の女性首相」である高市早苗(自民党総裁)が今年1月、突然の衆院解散を宣言。結果、自民党は衆院総定数の3分の2を超え、316議席に達する歴史的大勝を収めた。

これに対して立憲民主党と公明党は、選挙直前に衆院における新党の「中道改革連合(中道)」を結成したものの、わずか49議席にとどまる壊滅的大敗を喫したのは、読者ご案内のとおりである。

中道が大敗した要因として、「選挙互助会」と陰口があったように、選挙直前に結成したことが大きかったとされている。

この敗北により、中道の野田は公明党出身の斉藤鉄夫ともども、共同代表を辞任した。野田は辞任に際して、「(この大敗は)万死に値する。時代遅れ感あるコンビだった』と“告白”したものであった。

「安倍・自民党」との対決に敗れて以後、すんなりと長期政権を許し、ここに至って「高市・自民党」に歴史的大勝を許した野田は、2度にわたり政局を読み違えたことで、人柄はよしも改めて政略家にあらずと知らしめることになった。

(本文中敬称略/次回は菅義偉)

「週刊実話」4月16日号より

小林吉弥(こばやし・きちや)

政治評論家。早稲田大学卒。半世紀を超える永田町取材歴を通じて、抜群の確度を誇る政局・選挙分析に定評がある。最近刊に『田中角栄名言集』(幻冬舎)、『戦後総理36人の採点表』(ビジネス社)などがある。