【豊臣兄弟!トリビア】「終わりよければすべてよし」とはいかなかった…“異様な最期”を遂げた戦国武将たち

猛将2人が揃って不審死

●鮎釣り中に揃って溺死 長尾政景と宇佐美定満
上杉謙信が家督を継いだ際には謀反を起こしたこともある長尾政景だが、いつしか春日山城の留守居役まで任されるほど謙信の腹心となっていた。

一方の宇佐美定満は、謙信の軍師として知られ、川中島の戦いでは上杉軍を優勢に導いた人物。実はこの2人、古くからの知り合いだった。

ある日、定満に酒盛りをしようと誘われた政景は、二つ返事で出かける。2人は野尻湖に舟を浮かべ、酒を呑みながら鮎釣りをしていたが、そのうち口論になって、揉みあっているうちに舟から転落し、2人とも溺死したという。

なんともおかしな死に方だが、実のところ謙信の命により、定満が事故に見せかけて、捨て身で政景を暗殺したという説もある。政景の遺体を見た者が「肩に刀傷があった」と証言したらしいが、果たして…。

●太りすぎが命取りになった三好之長
阿波国の細川家家臣であった三好之長。主家の家督争いで細川澄元を支持し、澄元に従って各地で戦った。応仁の乱で幕府の権威が失墜すると、京ではたびたび一揆が起こっていたが、之長はそれを扇動して傍若無人に振る舞っていたという。そのために町民や公家たちから嫌われ、成り上がり者と陰口を叩かれていた。

それから10年後、入京した澄元が同族の細川高国との争いに敗れると、之長は曇華院に隠れていたところを捕らえられた。このときに之長が逃亡しなかったのは、太りすぎて10歩も歩けなかったからだという。

之長は切腹させられたのだが、当時は介錯人がいなかった。短刀を刺したところで脂肪に阻まれて内臓に到達せず、絶命するまでにかなりの時間を要したという。まさに地獄の苦しみだが、その様子を見ていた京の人々は「天罰!」と言って歓喜したという。

週刊実話増刊『禁断の戦国史』より抜粋