【豊臣兄弟!トリビア】「終わりよければすべてよし」とはいかなかった…“異様な最期”を遂げた戦国武将たち

松永久秀

人気沸騰中のNHK大河『豊臣兄弟!』は、戦国時代のサクセスストーリーを描いたドラマだが、当時の武士は「どうせ命を落とすなら、戦場で勇ましく散りたい」との矜持を持っていた者が多かった。ところが、実際は「こんなことで…」と思わずにはいられない、異様な死にざまをさらした戦国武将たちも少なくなかったのである。
そこで今回は、異様な最期を遂げた戦国武将たちを一挙ご紹介しよう。

信玄が恐れた“軍神”も不死身ではなかった

●厠(かわや)でいきんで脳溢血上杉謙信
自らを毘沙門天の生まれ変わりと信じ、名実ともに負け知らずの“越後の雄”上杉謙信も、当然ながら不死身ではなかった。

しかも、戦って死んだのではなく病死であった。天正6年(1578年)3月13日というから、越後はまだ寒かったはず。

謙信は前年に織田信長の軍勢を手取川の戦いで破り、春日山城にて関東遠征に出発する
準備をしていた。そんななか謙信が厠へ入ったが、いつまでたっても出てこない。それど
ころか中から大きなイビキが聞こえてきたという。

「お館様も、さすがにお疲れか…」

お付きの者はそう思ったようだが、実は寝ていたのではなく、昏睡状態に陥っていたのだ。そのまま意識が戻ることなく、4日後に死去した。無類の酒好きで、酒のアテに梅干しや干し魚、塩や味噌を食べていたといわれる謙信は、高血圧だったのだろう。厠でいきんだことで脳溢血を起こしたものと推測されている。

●茶碗に爆薬を仕込んで爆死した武将
出自も生年も不詳の松永久秀だが、茶道や芸事に優れた風流人で、名器コレクターでもあった。三好長慶に重用されて頭角をあらわすと、やがて信長に接近。

しかし、二度も信長を裏切った挙げ句、信長から「名器の茶釜『古天明平蜘蛛』を差し出せば許す」と言われたにもかかわらず、それを拒み、茶釜に爆薬を入れて自分もろとも爆死したという。久秀は日本史上初めて爆死を遂げた人物だといわれている。

実際は、爆死ではなく切腹による自害という説もあるが、信長に茶器を渡したくなかったという執念は同じで、家臣には「わしが死んだら平蜘蛛を爆破させて粉々にしろ」と言っていたという。

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