華麗な血筋、圧倒的な人脈、開けっぴろげな性格…永田町取材歴50年超の政治評論家が麻生太郎が総理になれた理由を大分析!

失言が致命傷にならなかった希有な政治家

かくて、麻生が「ポスト福田」総裁選を勝ち上がれた背景には、豊かな人脈を誇る麻生なら、落ち込んだ自民党の支持率を呼び戻すのに、まさに適役であろうとの見方があった。

もとより、それまでの自民党幹事長をはじめ外相、総務相、経済財政相、経済企画庁長官など、豊富なキャリアの裏付けがあったことは言うまでもない。

麻生が支持されたもう一つの理由に、「楽天主義」を感じさせるキャラクターとしての明るさがあった。

麻生は元来が開けっぴろげな性格で、自らマンガ好きを隠すことがない。政治家は言葉選びに細心の注意を払うのが常だが、時にはべらんめえ口調で言いたいことを言うタイプである。

失言の類いは多々あり、首相在任中も「踏襲」を「ふしゅう」、「未曾有」を「みぞうゆう」などと読み違える”愛嬌”も、不思議と政治家としての命取りにはならなかった。 

すなわち、国民の「首相になったら面白いのではないか」といった”後押し”を受けての、首相の座でもあったのである。

それだけに首相就任時の支持率はなかなかのもので、自民党としては麻生の人気を借りて衆院解散・総選挙に持ち込み、今度こそ安定政権の確保と党の支持率回復を願っていたのだった。

そんな麻生は昭和54(1979)年10月、前年に日本青年会議所会頭となったのを足がかりとして、39歳で旧中選挙区<福岡2区>から衆院選に初出馬、初当選を飾っている。しかし、3回目の選挙は結婚式の1カ月後だったが、ここで落選の憂き目に遭う。

のちに、麻生は当時の苦衷をこう語っている。

「鈴木善幸元首相の娘と結婚したわけですが、亭主になっていきなり無職になるわけですから、そりゃあ正直に言ってかなり落ち込みました。(中略)田中角栄元首相からは、『おまえ、悪くても8万票も取ったんじゃねぇか。これでみんな変えたら(注・以後の出馬を取りやめたらという意味)8万票がなくなる。みんな変えるんじゃねぇぞ』と励まされました」(『夕刊フジ』平成19年3月9日付)

結果、2年半後の総選挙で返り咲きを果たしたが、麻生と気脈を通じていたベテランの政治記者が、こんな「麻生観」を残している。

「一見、とっつきにくく、ぶっきらぼうな印象もあるが、一度でも会うとファンになる人が多い。ために、麻生氏について『半径1.5メートル以内の男』と評判が立ったことがある」

そんな麻生だが、首相の座は持ち前の楽天主義では乗り切れぬ、厳しいものとなった。

結局、衆院解散にこぎ着けたものの総選挙で歴史的惨敗を喫し、政権交代を余儀なくされることになる。

(本文中敬称略/この項つづく)

「週刊実話」1月22日号より

小林吉弥(こばやし・きちや)

政治評論家。早稲田大学卒。半世紀を超える永田町取材歴を通じて、抜群の確度を誇る政局・選挙分析に定評がある。最近刊に『田中角栄名言集』(幻冬舎)、『戦後総理36人の採点表』(ビジネス社)などがある。