なぜ「たくろう」は審査員の心を掴んだのか?令和の漫才を変えた“ズレの美学”を徹底解剖

「手数」の時代から「深度」の時代へ

近年のM‐1では、4分間にどれだけ多くの笑いを配置できるかが勝敗を分けてきた。テンポを上げ、情報量を増やし、観客を置いていかないことが重要視されていた。だが、たくろうは、その流れに乗らなかった。

彼らのネタは、一つの違和感を提示し、それを解消せずに引きずり続ける構造になっている。赤木のズレた受け答えは、単なるキャラクター設定ではなく、人が考えすぎた末に立ち止まってしまう瞬間をそのまま切り取ったようでもある。

長年お笑い界を見続けてきた放送作家は、たくろうの笑いをこう位置づける。

「以前は、『変な人』を外側から指さして笑うネタが多かった。でも、たくろうは赤木の奇妙さを否定しない。きむらバンドも一緒に戸惑いながら舞台に立っている。その距離感が、観る側に不思議な安心感を与えるんです」

最終決戦でも、たくろうはペースを変えなかった。他のコンビが完成度とスピードで押し切ろうとする中、赤木の不安定な声と間の取り方が、逆に会場の集中力を引き寄せていく。

優勝が決まった瞬間、赤木はすぐに状況を理解できず、きむらバンドは言葉を失った。その姿は、ネタ中と同じくどこか噛み合っていない。しかし、その不揃いさこそが、たくろうというコンビの本質だった。

「ズレていること」は、欠点ではない。たくろうがこの大会で示したのは、技巧を積み上げた先にある、人間の不完全さそのものが生む笑いだった。漫才という形式は、彼らによって新しい余白を与えられたと言えるだろう。

この先、たくろうがどんな景色を見せてくれるのか。期待が集まる理由は、彼らがまだ“整いきっていない”ところにある。