オアシス再結成で盛り上がれる人の思考回路 なぜ2025年にソレが「事件」になるのか

オアシス来日記念公式サイトより
オアシスの再結成は、新曲が出たからでも、音楽的に革新的だからでもない。

それでも多くの人が胸を熱くする。この反応には、明確な思考の特徴がある。

「音楽史」ではなく「自分史」で聴いている

オアシスで盛り上がれる人は、彼らを90年代ブリットポップの代表として評価していない。

代わりに、初めてCDを買った記憶、ラジオから流れてきた「Don’t Look Back in Anger」、ロックがまだ“人生を変えるもの”だと信じられていた感覚といった、個人の時間を丸ごと再生している。

再結成とは、音楽ニュースではなく「過去の自分との再会」である。

重要なのは、盛り上がっている人ほど「新しい時代が来る」とは思っていないことだ。

むしろ逆で、もう前には進まない。それでも、あの瞬間だけは確かにあったという諦念を含んだ感情で受け止めている。

オアシス再結成は、未来志向のイベントではなく、回収されなかった感情の清算に近い。

【関連】ELLEGARDENがONE PIECE主題歌に 「俺たちのバンド」という幻想はどこへ消えたのか?

ロックが“終わった”ことを前提にしている

オアシスで盛り上がれる人は、ロックが今も世界を動かしているとは思っていない。

チャートも、若者文化も、もはやロックの居場所ではないことを理解している。

それでも盛り上がれるのは、終わったものにしか宿らない強度を知っているからだ。

現役で戦っていないからこそ、記号ではなく記憶として残っている。

ノエルとリアムの「和解」を美談だと思っていない

再結成に感動している人は、兄弟の和解をハッピーエンドとして消費していない。

むしろ、和解してもしなくてもいい、それでも同じステージに立つこと自体が異常という距離感で見ている。

感動の対象は人間関係ではなく、「戻らないはずだったものが、一度だけ戻る」という事実だけだ。

オアシス再結成で盛り上がれる人は、新作が名盤になるとも、ツアーが完璧だとも思っていない。

音程がズレても、声が出なくてもいい。むしろそれを含めて、「本当に時間が経った」と確認するために盛り上がっている。

期待しないからこそ、裏切られない。この成熟した諦観が、再結成を楽しむ条件になっている。

オアシス再結成は「希望」ではなく「証明」

オアシス再結成で盛り上がれる人が求めているのは、未来への希望ではない。

確かに、あの時代、本気で信じられる音楽が存在した。

その事実を、もう一度目の前で証明してほしいだけだ。だから盛り上がる。そして、過剰に期待しない。

オアシス再結成とは、ロックがまだ“人生に作用していた時代”を知っている人間だけが反応する、最後のイベントなのかもしれない。