「歴代首相のなかでは異色」安倍晋三と妻・昭恵の夫婦関係

交際期間中にグリコ・森永事件が発生

「(安倍の)顔はまぁハンサムだったが、真面目で堅い雰囲気があった。デートは2週間に一度くらいのペース。政治家の妻には不安がいっぱいだったので、『私で大丈夫かしら』と聞くと、主人は『大丈夫。大変なことなんか全然ないし』って言っていました」(『文藝春秋』平成18年11月号=要約)

安倍はデートの際、外車を自ら運転してくることもあったらしいが、こんなエピソードを残している。

のちに安倍派を担当した政治部記者は言っていた。

「交際期間中にグリコ・森永事件が発生した。その頃、昭恵さんの父親はまだ森永の社長だったから、当然、松崎家では警視庁の刑事が警備にあたっていた。すると、夜、昭恵さんが男の運転する車で送られてくることがあり、警察は当然、車のナンバーから安倍晋三の名前を割り出していた」

それにしても、挙式後は“大変”であった。安倍は父親の後継者と目されていたことから、地元の山口県下関で3000人を集めた披露宴をはじめ、選挙区内の数カ所でも“お披露目”の会をせざるを得なかった。昭恵にとって、安倍いわくの「大変なことなんか全然ない」どころではなかったのであった。

平成5(1993)年7月、2年前に亡くなった父の遺志を継いだ安倍は、総選挙出馬に名乗りを上げ、昭恵の日々は一変を余儀なくされた。

この「弔い合戦」を取材していた山口県の地元記者が、次のような話を残している。