幻のラーメン屋『居酒屋×ラーメン 真珠』店主インタビュー 自家製麺の試作で四苦八苦「製麺の基本が分かっていなかった」

店舗オープン前日に東日本大震災

クラフトビールが進む前菜やお総菜も充実している
自作ラーメンが趣味でやれる範囲はとっくに超えていた。材料費はかさみ、試作品は増え、月に一度のラーメンパーティーだけでは消化しきれなくなってしまった。

そんなある日、新宿2丁目のよく行く居酒屋が日曜日をまるまる休日にするという話を聞いた。「その日ならラーメン屋に使ってもいいよ」。店長の言葉に谷川は狂喜した。

時は来たのだ。オープンは2011年3月12日。そう、だがその前日に、日本はひっくり返った。

東日本大震災。ラーメンを作るどころではなかった。

東京と言えどもしばらくは余震が続き、原発の不安は人々の生気を奪った。

電力不足と自粛ムードに包まれていた3月下旬、幸いにも店の被害が少なかったことで谷川の間借りラーメン屋『サンチェ』がオープン。

最初のラーメンはにぼし+豚骨+鶏ガラの醤油ラーメン。この先行きの見えない不安の中に、開店した謎の店『サンチェ』へ、ツイッター(当時)で集めた友人たちは開店と共に殺到した。

震災の不安が残る中で食べた昔ながらの醤油ラーメンは、ほっとする味だったに違いない。「美味しかったよ」と感謝を述べて出て行く彼らに、谷川は人に喜んでもらえる尊さを改めて噛み締め、胸の奥に言葉にし難い感情が込み上げてきた。

「いや、もう感動するヒマなんてなかったですよ。とんでもなく忙しくて、ラーメン屋をナメてました。家で出すのと、店で出すのでは大違い。オペレーションも何もないから、開店から閉店までずっと混乱しっぱなし。
でもそこから2年間、毎月1回サンチェをやる度に、効率的な動き方が分かってきた。そこに渋谷のNHK前にあるおしゃれなピザ屋から、『うちでもやりませんか?』と声が掛かったんです」

’13年、渋谷宇田川町に、間借りラーメン『サンチェ』を出店する。ナウでヤングな街で、若い男女がおしゃれピザ屋と思って入ってきたら、そこにあるのは『サンチェ』を名乗る、翌日には影も形もなくなる謎のラーメン屋。さぞやメン喰らったに違いない。

それでも『サンチェ』は好評を得ていたが、谷川はそこから4年間の活動休止を選ぶ。

(後編へ続く)

取材・文/村瀬秀信

「週刊実話」11月27日号より

『居酒屋×ラーメン 真珠』東京都渋谷区笹塚3-5-6

次回の開店は11月29日(土)は黒豚味噌ラーメン、12月28日(日)は和牛テールラーメンの予定