「憎しみ合って別れたのではない…」小泉純一郎を異色の独身総理にした嫁と実姉の仁義なき確執

次女との仲を『一卵性姉弟』と呼ぶ者も

信子は神奈川県の大船にある清泉女学院高校を優秀な成績で卒業したものの、父の純也はカネ集めが苦手で、選挙資金も常に乏しいといった状況下、大学進学を諦めて秘書として手助けの道を歩んだ。

選挙の際は出費を倹約するため、夜中に1人で自転車に乗り、ポスターを貼っていたこともあった。一度は泥棒に間違われ、警官から職務質問を受けたこともあったとされている。

前出の政治部記者は、こうも語っていた。

「信子さんは父が防衛庁長官に就任した際に、憲政史上初の女性大臣秘書官まで務めたやり手で、周囲からは『女帝』『女傑』、さらには独特のヘアスタイルも手伝って『永田町のクレオパトラ』とも呼ばれていた。
やがて、小泉が首相になると、彼が独身ゆえに首相公邸で生活を共にし、政治上の“指南”もしていたそうです。まさに、信子さんは独身首相の“ファーストレディー代行”といった存在で、そうした小泉と信子さんを『一卵性姉弟』と呼ぶ者もいた。
いわば、信子さんのこうした弟思いぶりも、妻の佳代子さんからすれば“母親がわり”“女房がわり”に見えて、立つ瀬がなかったのではないか」

それでも佳代子は、のちに小泉が首相になってから、ある週刊誌記者に漏らしたという。

「(離婚は)お互いさまです。運命だったのでしょうか。でも、これだけは確かです。(小泉と自分は)決して、憎しみ合って別れたのではない…」

ここにも「女系家族」に入り込めなかった悔恨が、にじむのである。小泉と信子の強い絆は、すでに小泉が小学生くらいのときから芽生えていたとされ、こんなエピソードが残っている。