「♪人は大人になるたび 弱くなるよね」浅香唯『セシル』は時の流れの中で若者たちが歌詞を理解し語り継いだ名曲

浅香唯『セシル』

【スージー鈴木の週刊歌謡実話第13回】
浅香唯『セシル』作詞:麻生圭子、作曲:NOBODY、編曲:戸塚修、1988年8月18日発売

80年代は『セシル』か、それ以外か

少々、悪しざまにいえば、歌謡曲、特にアイドルポップスなんて、その成功に作品性が関与する割合は、それほど高くないような気がする。

歌詞やメロディーというよりは(そのアイドルが女性の場合)顔が可愛くて、肢体が美しくて、ちょっとあどけなく、たどたどしく、男子のことを一途に思っている歌詞を歌っていればいい―。

と、ルッキズム、もしやジェンダー差別この上ない書きっぷりになりましたが、昭和の時代から今に至るまで、アイドルポップスに向けられる需要を素直に充足させようとすると、先のようになる。ということに異論は少ないはず。

しかし、そうはいっても、やはり音楽。たまーに一種の「異常値」として、名曲が作られ、チャートの中で花火のように消えていくのではなく、長く語り継がれ、愛され継がれることになる。

今回の浅香唯『セシル』(’88年)は、そんな「アイドル・スタンダード」を代表する1曲です。

売上枚数でいえば、同年の前作『C-Girl』の方が上回るようですが、いやいや、そういう話ではない。浅香唯といえば『セシル』かそれ以外か。というか、誤解を恐れずにいえば、80年代後半のアイドルポップスといえば『セシル』かそれ以外か、というほどの名曲だと思います。

どこが名曲なのか。まずはメロディーです。作曲は、この時代、ロックと歌謡曲の中間的に垢抜けたメロディーを量産していたNOBODY(『C-Girl』の作曲も)。

サビの「♪人は大人になるたび 弱くなるよね」の「♪ソラシ・ドドドド・ドドドド・レレレレ・シーソミー」(キーはA♭)という人懐っこい音列は、一度聴いたら忘れられないもの。

ですが、この曲といえば、やはり麻生圭子による歌詞に尽きるでしょう。

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