「いい本は読まれてほしい」 想いを発信し続けた『伊野尾書店』店長・伊野尾宏之が築いた“絶大なる信頼”

『週刊ゴング』落選でフリーターに

伊野尾書店

町の本屋さんが主流だった80年代とは異なり、90年代は大都市圏での大型書店隆盛の時代へと変わっていく。さらにチェーン書店やブックオフが数を増やしていく一方で、町の本屋はじりじりと苦境に立たされ始めていた。

大学生になった宏之は、自分の道は自分で拓くべしと愛してやまないプロレスの記者を志す。就職活動で『週刊ゴング』の日本スポーツ出版社を受験し、最終選考まで残ったが、熱心なアピールも届かず落選した。

「それからはなんだかやる気をなくしてしまいましてね。大学を卒業したあとは、だらだらと2年ぐらい歌舞伎町のゲームセンターでフリーターをやっていましたが、こんな生活をしていても将来は暗いなと行き詰まりを感じていました。そんなときに大学の同級生と飲んでも、話すことは上司や仕事の愚痴ばかり。就職してもそういう感じなら、家の仕事でもいいのかなって安易な方向へ流れてしまった…というのが実情ですね」

伊野尾書店で働くと決めたのがロッテの18連敗で近藤昭仁監督が「もっと強いところでやりたかった」と嘆いた’98年の秋。小川直也vs橋本真也の遺恨が始まった’99年の春から本格的に書店に立ち、「とりあえずやってみよう」と軽い気持ちで働き始めた。

「そこから26年ですか。長く続いちゃいましたね。本屋の仕事は実際に働いてみると、想像していた以上に楽しみがあったということです。本屋さんて意外と人に感謝されるんですよ。
『この前勧めてくれた本が面白かったよ。ありがとう』なんてお客さんに感謝されることもあれば、こうやって取材を受けたり、時にはテレビやメディアに出て、ちやほやしてもらえるから承認欲求が満たされますよね。
2004年に『本屋大賞』ができてからは作家さんと交流するつながりもできて、さらに世界が広がってね。90年代の、ただお客さんが本を買ってくれるのを待つだけの姿勢とは違う。自分からの発信でも、やり方次第で面白いことはできるんだなという発見もありました」