ON対決で制裁金3000万円、33-4、幻の完全試合 野球ファン熱狂の日本シリーズ事件簿【00年代編】

 

日本シリーズ史上初の快挙が幻に 

2006年と2007年の日本シリーズは、2年連続で中日と日本ハムの争いとなった。

’06年は日本ハムが優勝。中日にとって’07年の日本シリーズは、前年のリベンジを果たす絶好の機会となった。

その’07年、中日は初戦に負けるも2試合目から3連勝して王手をかける。

日本一が懸かった5試合目のマウンドを山井大介に託した。すると強打で鳴らす日本ハムのビッグバン打線を手玉に取り、完全試合ペースで8回裏まで終了。

「日本シリーズ初の快挙を見られる!」と誰もが思ったのも束の間、9回の裏に落合博満監督が審判へ歩み寄ると、なんと投手交代を告げる。

リリーフエースの岩瀬仁紀がマウンドに上がり3者凡退、“継投”での完全試合が達成された。

当時、この落合采配は物議を醸したが、落合監督はシーズン通り、最終回は絶対的守護神である岩瀬で締めることを優先した。

大記録達成という情や色気に流されて試合に負けてしまっては元も子もない。チームをしっかりと日本一に導いた落合監督の“大英断”だった。