史上初の退場、空白の1時間19分、「ロッテより弱い」野球ファン熱狂の日本シリーズ事件簿【昭和後期編】

ホームランかファウルか…空白の1時間19分 

1978年の日本シリーズ。「リーグのお荷物」といわれたチームをセ・リーグ王者に導いた広岡達朗監督率いるヤクルトスワローズは、日本シリーズ3連覇中の阪急ブレーブス(現オリックス)を破り、球団創設29年目にして初の日本一になった。

その第7戦の激闘は、今でも語り草になっているほどだ。

3勝3敗のタイで迎えた第7戦(10月22日)、当時の日本シリーズはデイゲームによる開催で、大学野球と開催日が重複していたためヤクルトの本拠地である神宮球場が使用できず、巨人の本拠地・後楽園球場で行われた。

0対0で迎えた6回、阪急のベテラン足立光宏の変化球をすくい上げたヤクルト・大杉勝男の打球は左翼ポール方向へ。

線審は右手を大きく回し本塁打の判定を下したが、これに阪急の左翼手・簑田浩二が「ファウルだ」と猛抗議。ベンチから駆けつけた上田利治監督も審判団に食ってかかり、全選手をベンチに引き上げさせる事態となった。

しかも上田監督はその後も態度を硬化させたままで、抗議は1時間19分に及び、日本中の野球ファンをあきれさせた。

そのためか阪急はシリーズ4連覇を逃し、長時間試合を中断させた責任を取って後日、同監督は退団したのである。