『豊臣兄弟!』では描かれない!? 秀吉・秀長の恐ろしすぎる暗黒史

キリシタン迫害「日本二十六聖人」

慶長元年(1597年)2月、秀吉は長崎でカトリック信徒26人を磔刑に処した。

背景には天正15年(1587年)のバテレン追放令で示した禁教方針と、文禄5年(1596年)のサン・フェリペ号事件(船長が「宣教師による布教は侵略の前段」という趣旨の発言をしたといわれる事件)によって高まった対外不信があった。

京都や大坂でフランシスコ会やイエズス会の宣教師、日本人の信徒らが次々に捕縛され、見せしめのために左耳を削がれ、京都から長崎までの街道を引き回された。

長崎ではあらかじめ用意された十字架にくくり付けられ、4000人もの群衆が見守る中で、26人の信徒が次々に槍で刺殺された。

この処刑は海外勢力の宗教活動を「内政干渉の前段」と見て、秀吉の威信を示す国家的示威だったといわれているが、キリスト教の信仰を理由に、最高権力者の指令による処刑が日本で初めて行われた事件でもあった。

処刑された26人はのちに殉教者として聖人に加えられ、日本よりもヨーロッパで知られた存在となっている。