森喜朗政権がたった1年で幕を閉じたワケ 退陣後は“後見人”として各政権の誕生を演出

「私の人生もラグビーボールそのもの」

若き日の森は、早大入学と同時にラグビー部に入っている。

まさに「ワセダのラグビー」に憧れたのだが、わずか4カ月で胃カタルのため退部。その後、雄弁会に転じている。しかし、森におけるラグビーは、その後の人生観にもなったようだ。森は言っている。

「楕円形のボールは、時にとんでもない方向を転々とする。リバウンドしたボールが自分の手元に返る確率は、100分の1以下ともいわれている。
まさに人生がどのように展開していくのか、分からないことに似ている。私の人生もまたラグビーボールそのものだと思っている」

森は退陣後、むしろ「後見人」的な立場で、その後の小泉純一郎、安倍晋三、福田康夫、麻生太郎の各政権が誕生する際、演出に汗をかいたものだ。

ここでは神経のこまやかさを“武器”に、トップリーダーにならず、むしろそれを支える立場で力を発揮するタイプであることを明らかにしている。

安倍政権下での東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会で、森は会長ポストに就任した。ここでも物議をかもしたが、トップリーダーとして、最後の「花道」になったことは知られている。

(文中敬称略/次回は小泉純一郎)

「週刊実話」10月23・30日号より

小林吉弥(こばやし・きちや)

政治評論家。早稲田大学卒。半世紀を超える永田町取材歴を通じて、抜群の確度を誇る政局・選挙分析に定評がある。最近刊に『田中角栄名言集』(幻冬舎)、『戦後総理36人の採点表』(ビジネス社)などがある。