森喜朗政権がたった1年で幕を閉じたワケ 退陣後は“後見人”として各政権の誕生を演出

「加藤の乱」もあって森政権は終焉

そうしたなかで、国民の森政権に対する不満を後押ししたのが、スキャンダルの連発であった。これは党の“緩み”を象徴した。

外務省機密費問題、ケーエスデー中小企業経営者福祉事業団(KSD)がらみで自民党「参院のドン」といわれた村上正邦参院議員会長(当時)が逮捕され、森の側近である中川秀直官房長官(当時)の愛人スキャンダルと続いたのである。

また、こうした森政権への批判をあらわにした加藤紘一元幹事長が、野党提出の森内閣不信任決議案に同調する動きをみせた、いわゆる「加藤の乱」などもあり、政権はついに終焉を余儀なくされた。

こうした森政権で「神の国」などの発言が目立ち始めた頃、森と気脈を通じ、家族ぐるみの交流もあったベテラン議員は、森と気丈さで知られていた智恵子夫人との間で、こんなことがあったと証言してくれた。

「智恵子夫人は、まさしく“夫が命”のように尽くした人物です。
しかし、たった一度だけキレて『あなたは総理大臣なんだから、もう自分を売り込んだりする必要はないんじゃない。国民の皆さんには、情熱を込めて政策を語りかければいいんじゃないかしら。もう、あなたの顔も見たくないから出ていってよッ』と言ったそうだ。
これにはさすがの森も、『ぼくを誰だと思っているんだ。あなたの息子じゃないんだぞッ』と切り返したというエピソードがあった。
しかし、夫の退陣表明が決定的になったとき、夫人は親しい森派議員の夫人に『やっと終わるわ。これで、せいせいする。終わったらパーティーでもやりましょうよ』と言ったそうです。
森がなんとか1年間、政権を持ちこたえられたのは、芯の強い夫人あってのことです。夫人がいなければ、政権はもっと早く潰れていた可能性が高い」