“芸能界のドン”事実上引退で混沌とする日本レコード大賞「賞レース」舞台裏

AIで生成したイメージ
年末恒例の日本レコード大賞の第67回賞レースが水面下でスタート。レコ大に影響力を及ぼしてきた“芸能界のドン”周防郁雄氏(84)が昨年末、第一線から退いたことで、賞レースの行方が注目されている。

日本レコード大賞が始まったのは1959年。第1回は水原弘の『黒い花びら』が大賞を受賞。大賞はその年に大ヒットした曲、新人賞は翌年以降も活躍が期待される歌手に贈られる。

「9月に認知症の入院中に肺炎で亡くなった橋幸夫は’66年(第8回)に『霧氷』で大賞を受賞しました。この年は、加山雄三の『君といつまでも』(’65年12月リリース)の他、大ヒット曲が数曲あった。
にもかかわらず、’66年10月発売の『霧氷』が大賞に。当時のレコード会社が裏工作に動いたという噂が流れ、レコ大の怪しい賞レースがささやかれるようになった」(元レコード会社社員)

当時は芸能プロダクションよりも、レコード会社の方が力を持っていた。

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1億円買収疑惑も大手メディアは沈黙

その後、新興プロの台頭で立場は逆転。80年代に入ると、周防氏率いるバーニングプロダクションがレコ大の“賞取り窓口”を請け負うようになったという。

「周防氏はレコ大審査員に選ばれた音楽評論家、スポーツ紙や大手新聞の記者、テレビ局員らを銀座や六本木の高級クラブで接待したり、金品を贈って籠絡して票の操作を画策した。
賞レースの時期になると、接待漬けで『胃腸が持たないよ』とほくそ笑む不届き者の夕刊紙記者がいましたよ」(芸能ライター)

周防氏のレコ大への影響力は絶大で、バーニング社が東京・赤坂に所在することから、レコ大は“赤坂祭り”と揶揄された。

「大手メディアは賞レースの裏工作に沈黙。そりゃあ、自社の記者がたらふく接待を受けているんですから記事にできませんよ。その点ではジャニーズ事務所への忖度と構図は似ています」(音楽プロモーター)

 ’16年10月末には週刊文春が『レコード大賞1億円買収疑惑』を報じた。

「前年の大賞を受賞した三代目J Soul BROTHERS from EXILE TRIBEの所属事務所LDHが賞取りの報酬として1億円をバーニング社に支払ったという記事でしたが、ここでも大手メディアは後追いしなかった」(芸能記者)

これまで隠然たる力を誇示してきた周防氏は、健康不安から昨年末にバーニング社の相談役会長に退いた。社長は長男が引き継いだ。

「すでにレコ大のノミネート予想が流れていますが、今年こそ本来のレコード大賞のあるべき姿に戻すべきです」(音楽プロ役員)

審査関係者が甘い汁を吸う時代は終わった。

「週刊実話」10月16日号より