『あっぱれさんま』の“かなちゃん”が明かすホームレス生活 明石家さんまの言葉に救われた過去

「『頑張る』という言葉を使うのをやめたんです」

――そもそも、なぜ芸能界を辞めたんでしょう?
中武「18歳で写真集を出したり歌手デビューもしましたが、それはあくまで“あっぱれブランド”があったから。それが通じなくなった頃に枕営業の誘いを受けたことがあり、ショックでした。
『ここまで来たか。もう自力では仕事を取れないんだな』って。最後は事務所の社長に騙されるような形でAV撮影の現場に送り込まれ、『もう無理』と逃げ出したんです」

――そんな経験を乗り越えて、今はどんな仕事を?
中武「一つは芸能界を目指す子をサポートする裏方の仕事をしています。
『スタースカウト総選挙(通称・スタ選)』のエグゼクティブプロデューサーという肩書で、事務所を移りたいとか方向性に悩む子たちの相談役ですね。
東京のラジオ番組(FMぷらぷら『ブリッジ』)でも自分の体験を反面教師として、アイドル候補生たちにアドバイスを送っています」

――たとえばどんな?
中武「私、『頑張る』という言葉を使うのをやめたんです。みんな頑張ってるし生きるのに必死なんだから、『頑張れ』じゃアドバイスにならないなと。そこで、『踏ん張って』と言うようにしています」

――他の仕事は?
中武「バイトも普通にしてますよ。セレッソ大阪の試合がある日のスタジアム売店の売り子とか」

――女優としての復帰についてはどうですか?
中武「私、今ならいいお芝居ができると思うんですよね(笑)。映画の『釣りバカ日誌』に出させていただいたとき、西田敏行さんに言われた言葉が忘れられないんです。
“あっぱれブランド”で呼ばれているので、きっとセリフも多いんだろうと思ったら、1、2個しかなかったんです。ところが西田さんは、ただ立っているだけの方にも演技指導をされていて。
『こういう立ち方のほうが雰囲気出るんじゃないか。セリフはそもそもいらないんだよ。体から出るものがある。表現とはそういうものだから』みたいなことを仰ったんです。
やっぱり極めてる方は違うなと感動し、私も我に返りました。いろいろ苦労してきた私だからこそ、内面が出ると思うんですよね。今なら通行人役でも真剣にやりますよ!」

「週刊実話」10月16日号より

中武佳奈子(なかたけかなこ)

1982年4月22日生まれ。『あっぱれさんま大先生』初期メンバーは他に内山信二、山崎裕太ら。YouTubeチャンネル『中武佳奈子は生きている』、インスタグラム:@nakatake.kanako