田中角栄の逮捕で号泣 橋本龍太郎は“心優しきモテ男”か“怜悧傲慢な政治家”か

多忙の首相時代にも病床の継母を見舞い

橋本の父・龍伍は「吉田(茂)十三奉行」の一人で、子供の頃にかかった結核性の腰椎カリエスのために左足が不自由となり、ステッキを手放せずのなかで、厚生大臣、文部大臣などを歴任した。

政界でも「硬骨にして清廉な政治家」として通っており、その長男が龍太郎で、腹違いの次男がNHK記者から、のちに高知県知事になった橋本大二郎である。

龍太郎が生まれてわずか6カ月で実母が死去、龍伍は龍太郎が6歳になってようやく再婚したが、それまで“母に抱かれた”期間を持っていなかった。

龍太郎にとっての継母は正と言った。正は政治家の血筋で長く「ユニセフ(国連児童基金)」の仕事に携わるなど、公私ともに龍伍の後妻としては申し分のない女性であった。

また、正は自分のお腹を痛めた大二郎と同様に、龍太郎も分け隔てなく大変にかわいがった。龍太郎は実母に代わり、この正に“抱かれて”育ったのである。

正は昭和63年(1988年)の夏、脳溢血で倒れて入院し、平成10年(1998年)の暮れに亡くなるまでの約10年間、橋本は寸暇を惜しむようにして、病床の母を見舞い続けている。

自民党幹事長、大蔵大臣、通産大臣時代はもとより、超多忙の首相になってもそれは続いたのであった。

一方、橋本に噛みつかれた“被害者”は大勢いた。

例えば、田中がロッキード事件で逮捕された3日後、自民党「有志の会」なる会合で、“天敵”三木派幹部の近藤鉄雄(元経済企画庁長官)が、こう発言したときのことである。