「その昔、旅に魅せられたバカな男がいたんだよ」マウンティオが“観光王”になるまでの軌跡

「転勤という話があってね。悪い話じゃなかった」

“レンタルマウンテンYAMA”
世界40カ国ほどに子会社を持つ某大手企業に就職した新入社員マウンティオは、海外出張の多い部署に配属されると、世界を股に掛けるビジネスマンとして8年間、あらゆる見聞を広めてきた。

しかし30歳を目前にしたある日。順調な社会人生活に自らの手で終止符を打ってしまう。

「転勤という話があってね。悪い話じゃない。いわゆる出世コースだ。地方で何年か管理職を経験し、本社に戻って出世街道。数年やれば年収1000万さ。いいだろ?
だがオレは世界を見てきて気付いてしまったんだよ。日本って最高に面白い舞台じゃないかとね。もちろん、海外にもいい場所はたくさんあったさ。
だが、日本はレベルが違う。食、歴史、環境、風俗、裏風俗。オレはこの素晴らしい日本という舞台を世の中の人たちにもっと知ってほしいと思ったんだ。
オレは会社に辞表を出した。もちろん引き留められたさ。この頃にはオレも結婚していてね。妻はこのとき妊娠していた。頭がおかしいと笑ってくれて結構だ。会社も同じ反応だったよ。
だが、ここで会社に残って出世コースに乗ってしまったら、もう抜け出せはしないだろう。安定した人生か、それとも先の見えない冒険の航海に出るか。どちらを選択するか、オレにとっては簡単な問題だった」

マウンティオは会社を辞めた。そうだ。オレは令和の観光王になるんだ。坂本龍馬のように「日本を面白くしたい」と焦がれ、藤田観光・小川栄一の自伝に「こんな波乱の人生を送ってみたい」と志を立てた心根を裏切ることはできなかった。

本拠地を宮崎県に移したのもこのときである。きっかけは友人の紹介で市の観光関係者に会える機会に恵まれたことだ。世界を相手にカマしてきたマウンティオはここでまた何者であるかのように大きく売り込む。

「オレならば日南の魅力を存分に引き出せるだろう。なぜなら観光王になる男だからだ」