【戦後80年】メディアの統制で軍国少年を量産した戦時下「娯楽」のリアル

なりたい職業1位は軍人

一方、こうした風潮は当時の出版界にも波及した。

戦時下の子供たちに人気があった少年向けの月刊誌に『少年倶楽部』(大日本雄弁会=のちの講談社)がある。

1914年(大正3年)に創刊され、佐藤紅緑、吉川英治、大佛次郎ら一流の大衆作家による少年向け長編小説をそろえることで、多くの読者を獲得することに成功した。

その後は、田河水泡の『のらくろ』、島田啓三の『冒険ダン吉』、中島菊夫の『日の丸旗之助』などの漫画と、多彩な豪華付録で人気を博し、最盛期には75万部の発行部数を記録。

とくに世界軍用機写真集や彩色厚紙を用いたペーパークラフトが好評だった。

日中戦争が始まると、内務省は1938年(昭和13年)10月に「児童読物改善ニ関スル指導要綱」を通達。

これは雑誌浄化運動と呼ばれ、「フィクションを減らし、国民の生活に沿った内容のものが好ましい」という要請に、当局から紙の供給を受ける立場の出版社は従わざるを得なかった。

戦局が進むにつれて『少年倶楽部』は、皇国の少年戦士を育成するため軍事一色になる。けれども、子供たちはそれを素直に受け入れた。

戦闘機乗りの心得や海軍兵学校の授業、真珠湾攻撃に参加した勇者たちの素顔、敵艦隊撃滅の手記、どれも興味津々である。戦時色が強まると、ほとんどの少年向け雑誌で、軍艦や航空機の精緻な図解などが掲載された。

少年たちのなりたい職業1位は軍人で、少女たちの夢はお嫁さんだったが、お国のために死ぬということに何の疑いもなかった。

戦時下日本のリアル』第4章「戦時下の文化・娯楽」第5章「子供たちの生活」より一部抜粋