「ハルク・ホーガンに感謝と哀悼を捧げる」日本最後の試合相手・蝶野正洋が語るプロレス界の象徴

蝶野正洋(C)週刊実話Web
週刊実話の人気連載「蝶野正洋の黒の履歴書」。今回のテーマは「ハルク・ホーガンとのラストマッチを回顧」。

ハルク・ホーガンは「いまでは当たり前のことをしっかりとやっていた」

ハルク・ホーガンが亡くなった。スポーツ系のメディアだけでなく、テレビでも訃報が流れていたから、改めて世界的なスーパースターだと実感した。

ホーガンは1980年代に初来日して、アントニオ猪木さんとの抗争で名を上げた。それからアメリカのWWF(現・WWE)に移籍して「レッスルマニア」を成功させ、プロレス界の象徴のような存在になった。

ホーガンはヒロ・マツダさんのところでレスリングを学んでいるから、チェーンレスリングやグラウンドテクニックを持っている。

でも、アメリカでは見栄えのいい大技やマイクパフォーマンスを徹底するなど、セルフプロデュース力がすごかったんだよ。それだけでなく、ビジネス感覚も優れていた。

アメリカは地元に根付いたプロモーターがいて、それぞれのテリトリーがあった。それをWWFのビンス・マクマホンがテレビのネットワークシステムを使って全米を制圧していくんだけど、業界が変革していく時代の中心にいたのがハルク・ホーガンなんだよね。

また、自身のキャラクターグッズや、マーチャンダイズ(商品化計画)の権利関係を自分で管理したのもホーガンが最初。自分の価値を分かっていて、その利益をしっかり取るという、いまでは当たり前のことをしっかりとやっていた。

例えばペイパービューのシステムができて、それをスポーツ中継として初期に実施したのがプロレスやボクシングなんだけど、ホーガンがすごいのが、このペイパービューの売り上げが、自分にもパーセンテージで入るような契約にしたんだよ。

それもホーガンだけが許される特別な比率で、これ以降のどんなレスラーもこの割合を超えられていないらしい。

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