「ハルク・ホーガンに感謝と哀悼を捧げる」日本最後の試合相手・蝶野正洋が語るプロレス界の象徴

「ホーガンを呼んで、これがプロレスだと見せたかった」

契約にシビアなこともあってWWFと何度もモメてるんだけど、90年代にはライバル団体のWCWに移った。

この頃のWCWは、リック・フレアーとかブレット・ハートも引き抜いたのに視聴率が上がらない。そこでホーガンがケビン・ナッシュやスコット・ホールと組んで始めたのがnWo。御存知の通り、nWoのTシャツはバカ売れした。

このTシャツの権利も最初からアパレル会社ときっちり組んでいたから、会場の物販だけじゃなく、普通の流通に乗せて世界中の洋服屋で売ることができたんだよね。

そんなホーガンのビジネスマンとしての気迫を俺が体感したのが、彼を2003年10月13日の新日本プロレス東京ドーム大会に招聘したときだね。

あのときは出演交渉のために、フロリダ州にあるホーガンの自宅に行ったんだけど、ホーガンは弁護士などをつけず、すべて自分で契約書に目を通していた。

ギャラはたぶん、ホーガンの希望より下だったんだけど、俺がnWoジャパンとして独自のストーリーを作って、グッズもたくさん売ったから、それを実績として信用して、サインをしてくれたんだと思う。

猪木さんが格闘技路線に傾いていたから、俺はホーガンを呼んで、これがプロレスだということを見せたかった。実際にホーガンと試合で向き合ってみると、さすがの存在感だったね。

これがホーガンの最後の参戦になるとは思ってなかったし、俺が最後の試合相手になるとも思わなかった。ハルク・ホーガンに感謝と哀悼を捧げる。

「週刊実話」8月21・28日合併号より

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