「君は同志を救った英雄として迎えられる」死刑囚の手記から垣間見える“三鷹事件”の真実

「一人でやったと主張すればみんな助かる」

「翌年、朝鮮戦争が始まる状況の中でどうしても無実を勝ち取らなければならないという思いで弁護された人たちと、そうでない竹内さんとでは弁護士の接触(の仕方)が全然違った。
竹内さんはその呪縛から抜け出せず、自らの首を絞めるような形で1人だけが死刑判決を受けた経緯がある」

大石さんの見方を裏付けるように、竹内は死刑確定の2年後、月刊誌『文藝春秋』(’57年2月号)に発表した手記で、弁護士との生々しいやり取りを明かしている。

八王子刑務所に「しきりと面会に訪れた担当弁護士から絶えず聞かされた」のは、こんな言葉だったという。

「共同謀議でやったとなると、一人で突発的にやったのと違って、刑法的にみても刑はずっと重いからね。下手すると死刑の危険がありますよ」

「共産党員でない君が一人でやったと主張してくれれば、みんな助かるし、君自身も死刑を免れるんですからね。まあせいぜい重くて十年の辛抱ですよ。
(中略)
そのうち必ず人民政府が成立しますから、その時は君を真っ先に釈放するでしょう。いや単に釈放されるばかりでなく、君は同志を救った英雄として迎えられますよ」

竹内は「完全に彼の暗示に踊らされ」、「何としてでも『共同犯行』の線を破って『死刑』の不安から逃れたいと懸命になった」と綴っているが、控訴審で竹内を待っていたのは書面審理のみでの逆転死刑判決だった。

件の手記のタイトルは「おいしいものから食べなさい」。無罪というご馳走を後に取っておいたために死刑囚となってしまったとの強い悔恨がにじむ。獄死した竹内が最後に家族に残した言葉は「悔しいよ」だったという。

戦後80年、占領期の深い闇を照らす試みは、どんな結末をみるのだろうか。

(一部敬称略)

取材・文/岡本萬尋