占領下の東京で無人電車が暴走 国鉄3大ミステリー“三鷹事件”に隠された戦後80年の闇

パンタグラフ変形の不可解さ

’66年夏には東京高裁が本人からの意見聴取を決めるなど再審開始が現実味を帯び始めた矢先の’67年1月、竹内は脳腫瘍で獄死した(享年45)。

1次請求審でも事件発生時の竹内のアリバイを物語る証言など、有罪を疑問視する幾つもの新証拠が出されていたが本人死亡で再審手続は打ち切りに。

44年の歳月を経て竹内の長男が2011年、2次再審を申し立てたが2019年7月に東京高裁(後藤真理子裁判長)、’24年4月には最高裁が棄却。同年9月に3回目の再審請求、再び東京高裁での審理が続いている。

2次請求審で弁護団が竹内の単独犯行を崩す決定打と位置付けたのが、事故車両のパンタグラフに関する新証拠だ。

発生直後の現場写真を見ると、事故車両の1両目と2両目のパンタグラフは上がっている。

確定判決は竹内の自白を基に1両目の運転台に侵入、操作して無人電車を暴走させたと認定しているが、鉄道工学者の曽根悟・東京大学名誉教授の鑑定書は1両目の運転台の操作で可能なのは1両目のみか、全車両分のパンタグラフを上げるかのいずれかであり、事故車両のように1両目と2両目だけを選んで上げることは不可能だと指摘。竹内の単独犯行に疑問を呈した。

検察は暴走時に上がっていたのは1両目のパンタグラフのみで、2両目は衝突時の衝撃で跳ね上がったと主張し、確定判決もこれを追認している。

曽根名誉教授はパンタグラフの変形具合から下がっている状態での衝突は考えられないと分析したが、19年高裁判決で後藤裁判長は十分な根拠も示さず「事故の衝撃で上昇したと理解するのが自然だ」と切り捨てた。

しかし事故現場の写真からは、折れた電柱が2両目のパンタグラフの上に載っている様子が確認できる。

電柱を載せたままパンタグラフが上がったと考えることは果たして「自然」なのか。