「選手ファーストと引き換えに高校野球は何かを失った」箕島vs星稜戦(1979年)死闘の舞台裏

選手ファーストの現代では見られない試合

このときの尾藤の采配は、今なら大きな批判を招くかもしれない。

選手の負担軽減が何よりも優先され、投手には「1週間500球以内」の球数制限。夏の甲子園には幾日も「休養日」が設けられ、原則2連戦もなくなった。

当時18回制だった延長戦も15回、13回へと相次ぎ縮小。2023年からは10回からタイブレークとなり、それでも飽き足らず現在は「7イニング制」まで検討されている。

そんな現代の「常識」からすれば、発熱した選手を4時間近く試合に出し続けること自体が狂気の沙汰かもしれない。

時代は「選手ファースト」、なるほど結構だが、一つ言えるのは選手の負担軽減を優先すればするほど確実に高校野球はつまらなくなる。

親が子供が行く先々で怪我をしないよう先回りして手を打てば、危険はない代わりに何の感動も生まないのと同じことだ。

箕島・星稜戦のような半世紀後まで語り草となる、人智を超えた「神様の創った試合」はもう二度と現れまい。選手ファーストと引き換えに高校野球は大きな何かを失った。

18回の上野山のバント失敗後、四球で1死一・二塁。最後はレフト前ヒットで激闘を再試合寸前で制した箕島はその後も勝ち上がり、この夏も優勝。公立高校の春夏連覇は長い高校野球の歴史でも、この年の箕島だけである。

春夏甲子園で優勝4回、通算35勝を挙げた尾藤は1995年に箕島の監督を退き2011年、68歳で死去。

ピンチでも笑顔を浮かべ選手を鼓舞し、球史に残る大逆転劇を幾度も演じたその采配は「尾藤スマイル」「尾藤マジック」と呼ばれ一時代を築いた。

星稜戦で上野山の交代を許さなかった尾藤だが、30年近い監督生活では地元の医師と連携して試合中の水分補給を徹底、選手の投票制によるレギュラーメンバーの決定、また選手には男女交際を奨励するなど、とかく前時代的・禁欲的だった昭和の高校野球の「常識」に捉われず、幾つもの改革を推し進めた名将だった事実も忘れずに記しておきたい。

(敬称略)

参考文献:『心で勝った監督たち』(越智正典著、オール出版刊、1983)

取材・文/岡本萬尋