日本人は「食」に対して保守的だった 日中戦争、太平洋戦争の国策“節米運動”と“国策炊き”

戦時中に注目されたのがスルメイカ

また太平洋戦争中は、肉は手に入るかどうか、卵も配給は2人で1個、しかも、やがて粉末の乾燥卵になってしまうと、頼みとなる主たるタンパク源は魚介類しかない。

魚介類の配給は3〜4日に1度、並んで手に入るのはようやく1人100グラム前後で、イワシのような小魚なら1人1〜3尾、切り身なら5人で3切れ程度しかない。そんな中で庶民に注目されたのがイカ(スルメイカ)である。

昭和に入って動力船の性能が上がり漁獲高が伸びたイカは、日本近海で豊富に獲れ、調理の用途も広い優秀な食材として知られる。

しかし、当時は冷凍技術が発達していないため、新鮮なイカが店先に並ぶのはまれで、基本的には火を通してあった。

それを大勢で食べられるように、小さく切るか、すり身にして調理するのだが、スルメやノシイカの形で配給されることもあり、その場合は乾燥させ、非常食として重宝された。

また、貝類は殻を外して“むき身”で配給された。貝の種類は主にアサリやハマグリだが、地域によってご当地名産の貝が地産地消されていた。

殻を外すのは輸送時の重さを軽減するためで、下ごしらえが軽減されるむき身の貝は、主婦にとって便利な食材だった。

しかし、戦争が長期化すると魚介類も価格統制が始まり、これらの統制は市場の経済活動を沈滞させただけでなく、かえって生鮮食料品の品不足と価格の高騰を招いた。結果、闇取引を増長させる皮肉な結果をもたらせたという。

戦時下日本のリアル』第1章「戦時下の食生活」より一部抜粋