カレーは「辛味入り汁かけ飯」に…太平洋戦争時「金属製曲がり尺八」と呼ばれた楽器は?

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お菓子のカントリーマアムを「ふるさとの母君」、王様ゲームを「関白遊び」と和製変換するのは、狂言を取り入れた芸風で人気のお笑いコンビ『すゑひろがりず』のネタ。現代では笑いのネタにされているが、欧米を敵に回した第二次世界大戦下の日本では、こうした言い回しは当たり前のことだった。

英語は軽佻浮薄で“敵性言語”に

大正ロマンの時代から昭和モダンの時代となり、日本は貪欲に西洋の文化を取り入れ、人々は我先にと初めて見る舶来品に飛びついた。

音楽ではジャズやタンゴが大流行し、洋画が人気を集め、東京の銀座には洋装のモダンガール、モダンボーイが登場。洋行帰りの実業家たちは、本場仕込みの触れ込みで洋食レストランをあちこちに開業し、ライスカレーやオムライス、お子様ランチが外食の定番になった。

昭和初期の日本は北から南まで、洋風かぶれの時代だったのである。

ところが、日本が中国と一触即発の状態に陥ると、中国側を支援するアメリカやイギリスとの溝が深まり、次第に日本は米英を敵性国家と見なすようになる。

すると、英語は軽佻浮薄(けいちょうふはく)なうえに“敵性言語”であるとして、排斥の動きが起こり始めた。

例えば、庶民に娯楽を提供していた映画界では、内務省の指示によりカタカナ名の芸能人がこぞって改名させられ、ディック・ミネは「三根耕一」に、ミス・コロンビアは「松原操」になった。

太平洋戦争で米英が完全な敵国になると、その動きはより露骨なものとなる。

ジャズやクラシックなどは敵性音楽として禁止され、国民学校の卒業式では『蛍の光』がスコットランド民謡を原曲にしているとして、『海行かば』などの愛国歌に変更された。