「自民党は惰性のかたまり」金権政治を嫌った“ミスター政治改革”羽田孜の矜持

「カネのかかる政治が諸悪の根源だ」

また、羽田と親しかった田中派「秘書軍団」の幹部の一人は、こうも証言していた。

「羽田さんは、『いずれにしてもカネのかかる政治が諸悪の根源だ』と、この考え方を一歩も譲らなかった。
のちに首相の座を降りてから、『ぼくは首相より、むしろ衆院議長として国会改革をやりたいと思っていたんだ。
与野党が信頼関係を持って、共に話し合いのできる国会を理想としている。旧態とした国会の改革も、政治改革の同列上にあるものだと思っていたんだ』と言っていた。まさに“ミスター政治改革”だった」

羽田は2度にわたって農水相を務めたあと、大蔵大臣、外務大臣も無難にこなした。

その後、竹下の政治姿勢と合わなくなった小沢が自民党を離党、新生党を旗揚げすると、竹下派から同調した35人とこれに参画し、党首に担ぎ上げられた。

そのうえで自民党は、首相の宮澤喜一による衆院解散・総選挙で敗北、一方の小沢は、8党派を糾合して日本新党の細川護熙を首相に担ぐという独特の政治手法で、「非自民連立政権」をつくり上げてしまった。

自民党を野党に転落させられた竹下は、羽田が小沢らと共に竹下派を割り、自民党離脱に走ったとき、こう舌打ちをしたといわれている。

「羽田はあんなに軽かったのか…」

(本文敬称略/この項つづく)

「週刊実話」7月24・31日合併号より

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小林吉弥(こばやし・きちや)

政治評論家。早稲田大学卒。半世紀を超える永田町取材歴を通じて、抜群の確度を誇る政局・選挙分析に定評がある。最近刊に『田中角栄名言集』(幻冬舎)、『戦後総理36人の採点表』(ビジネス社)などがある。