「死去した時間、慈恵医大病院の前に立っていた」リハビリを追い続けたジャーナリストが語る“長嶋茂雄”という男

読売ジャイアンツ公式サイトより
【長嶋リハビリ秘話 前編(1)】
ミスタープロ野球の長嶋茂雄氏が死去してから1カ月以上が経過した。スーパースターだけあって大々的に追悼特集が組まれたが、21年間に及ぶリハビリについてはあまり触れられていない。
ミスターのリハビリを追い続けたスポーツジャーナリスト・吉見健明氏による長嶋氏との秘話、リハビリの内情をお届けする。

「6459日間、およそ21年間にわたって闘病生活を追い続けてきた」

ついにその日が来てしまった。2025年6月3日午前6時39分、長嶋茂雄が入院中だった東京・慈恵医大病院で肺炎のため死去した。

享年89。野性的なプレーと明るいキャラクターでファンに愛され、戦後の日本社会を照らし続けた「ミスター」に別れを告げるときがきた。

長嶋が死去したちょうどその時間、筆者はいつものように慈恵医大病院の前に立っていた。

私は長嶋が脳梗塞で倒れた2004年からこの日までの6459日間、およそ21年間にわたって長嶋の闘病生活を追い続けてきた。

緊急入院からの壮絶なリハビリや穏やかな朝の散歩、緊急搬送や徐々に長引くようになった入院生活まで毎日のように現場に通い続けてきた。

この日もいつものように早朝から慈恵医大病院に足を運ぶと、20年近く介護を担当してきたS氏が雨の中をバイクでやって来た。

今回の入院では月曜日からの3日間、リハビリとストレッチのため病院に通っていた。

長期間の取材を続ける筆者のことは知っているはずだが、親しく挨拶を交わすような仲ではない。リハビリの邪魔にならないよう、こちらから声をかけることはほとんどしなかった。

長嶋は今日も元気にS氏とリハビリをしているのだろう。そんなことを考えながら小一時間ほど外から病室の窓を眺めて引き揚げた。

今にして思えば、S氏が病院に入った15分後に長嶋が息を引き取ったことになる。帰宅途中に訃報を知ったその瞬間、全身の力が抜けるような感覚に襲われ、雨の中、傘を差すのも忘れて歩き続けた。