「死去した時間、慈恵医大病院の前に立っていた」リハビリを追い続けたジャーナリストが語る“長嶋茂雄”という男

長嶋は「憧れであり記者人生の原点」

翌朝のスポーツ紙は全紙が帽子を飛ばしながら派手に空振りをする写真を1面に使っていた。本来ならあり得ない偶然だが、これも長嶋だから起こった奇跡と言えるだろう。

あの日から1カ月以上が経つが、筆者の喪失感は深まるばかりで、長嶋の死をどう受け止めればいいか戸惑っている。

その死は野球界の喪失というだけではなく、長嶋と同時代を生きた個人的な「物語の終わり」をも意味しているからだ。

筆者にとっての長嶋は「少年時代からの憧れ」であり、「記者人生の原点であり、すべて」だった。

長嶋を初めて見たのは小学5年生の頃。当時の東京六大学野球はプロ野球を凌ぐ人気で、池袋で行われた立教大学の優勝パレードで握手をしてもらい野球にのめり込んだ。

長嶋を見るため、東長崎にあった立教大のグラウンドにも足を運んだ。

立教大の黄金時代を作り上げた砂押邦信監督の「月夜のノック」を泥だらけになって追いかける背番号3の姿に心を奪われた。

【一部敬称略】

「週刊実話」7月24・31日合併号より

長嶋リハビリ秘話 前編(2)】へ続く

吉見健明

1946年生まれ。スポーツニッポン新聞社大阪本社報道部(プロ野球担当&副部長)を経てフリーに。法政一高で田淵幸一と正捕手を争い、法大野球部では田淵、山本浩二らと苦楽を共にした。スポニチ時代は“南海・野村監督解任”などスクープを連発した名物記者。『参謀』(森繁和著、講談社)プロデュース。著書多数。