「試合後のバンバン・ビガロが控室でいきなりブッ倒れた」蝶野正洋が90年代新日と熱中症を語る

蝶野正洋 (C)週刊実話Web
週刊実話の人気連載「蝶野正洋の黒の履歴書」。今回のテーマは「下半身に元気がない男は“熱中症”要注意」。

バンバン・ビガロを医務室に運ぶのは大変そうだった

全国的に猛暑となり、連日のように熱中症アラートが発令されている。

京都の小学校では体育の授業中に、子供が熱中症で倒れたという事例もあった。グラウンドではなく、体育館で授業を行っていたようだけど、蒸し暑さという点では室内のほうが危なかったりするからね。

1990年代後半に新日本プロレスの夏のシリーズで、長野にある上田市民体育館で試合をしたことがある。夜の興行でテレビ中継も入っていて、音や光が漏れると近所迷惑になるということで、窓にはカーテンを引いて、扉も閉め切って興行をしていた。

俺はメインイベントだったので出番を待っていたら、試合を終えたバンバン・ビガロが控室に戻って来るなりぶっ倒れた。

最初は酸欠かなと思ったんだよ。上田市は標高が高くて酸素が薄いんで、試合をしてるとやたら疲れることがあったから。改めて考えると、あれは熱中症だね。

もう完全にグロッキーになってるビガロの巨体を医務室に運ぶのは大変そうだったよ。

会場は冷房が効いてなくて、扉も締め切ってた。お客さんもいっぱい入ってたから、これは選手じゃなくても誰か倒れると危ないと思って、スタッフに言ってメインの試合前にカーテンを開けて、窓も扉も全開にして、風を通してから試合を始めた。

その頃はレスラーたちの間で、「夏の東北は暑い」「冬の九州は寒い」とよく言われていた。寒いエリアの古い体育館は冷房が完備されていない所が多かったから、夏の東北サーキットなんかは本当に暑かった記憶がある。